かつて「テイラー・スウィフト」の名が日本で浸透しなかった事情 トランプも白人層へのアピールに利用した過去
日本での人気はそれほどでもなかった15年前、テイラーを取材した際の思い出
筆者がテイラーと初めて会ったのは、遡ること15年前の2009年のことだ。日本デビューを約1ヶ月後に控えた4月下旬、米ミズーリ州のセントルイスにある屋内競技場、スコット・トレード・センターでの取材だった。全米60ヶ所での大規模アリーナ・ツアーをスタートさせたばかりだった彼女は、笑顔で筆者を迎えてくれた。しかも、彼女のお母さんも好意的で「これがテイラーが移動するバスよ」と、ツアー・バスの中のベッドルームまでも案内してくれたことを覚えている。
当時の記憶を繙くと、ツアー・タイトルにもなったアルバム「Fearless」について尋ねた筆者に、テイラーは、
「自分自身で作曲して作ったアルバムですし、何より自分のストーリーを綴ることができたことがすごく嬉しかった。自分の曲が作れたからこそ、このアルバムを誇りに思っているの。それに、今私がここで、あなたのインタビューを受けられるのも応援してくれたファンのおかげ。感謝しきれないわ」
と語ってくれた。
このとき彼女が行っていた全米で60ヶ所のツアーというのは、新人アーティストとしては異例のことだった。しかも、全会場が2万人以上を収容できる会場ばかりである。にもかかわらず、ロサンゼルスのステープルズ・センター はチケットが発売2分、ニューヨークのマディソンスクエア・ガーデンに至っては僅か1分で完売するなど異常なまでの人気となっていた。
米国での圧倒的な人気と裏腹に、当時はまだ、日本でのテイラーの知名度はイマイチだった。米国とは違った日本の音楽事情がさまざま影響していたように思うが、「日本ではカントリー歌手であることを前面に出したら売れない」という理由は、小さくなかったと思う。
ファンならばご存じのとおり、テイラーは、幼少時からカントリー・ミュージックに慣れ親しんでいた。そうした音楽性が基盤となっていたからこそ、人気を高めたことは言うまでもない。実際、筆者は彼女がカントリー・ミュージックを歌っていることに違和感はなかったし、むしろ魅力を感じていた。が、レコード会社の宣伝担当者は「(日本の音楽市場では)そんな甘いのじゃ受けない」と言いたげだった。
だからこの取材の翌年に、テイラーが「第52回グラミー賞」(2010年1月)を受賞したことは、日本市場にとって追い風になった。テイラーはこの時、最多の10部門にノミネートされていたビヨンセを抑え「最優秀アルバム賞(レコード・オブ・ザ・イヤー)」に輝いた。もちろん10代での受賞は史上最年少だった(今年2月4日の「第66回グラミー賞」では「最優秀アルバム賞」を史上最多の4度目の受賞)。
この受賞がCDセールスの大きな弾みとなり、日本でもその存在が浸透していった。が、その裏で日本の関係者は「グラミー賞を獲れなければ、単なる米国のカントリー歌手扱いになってしまうところだった」と胸を撫で下ろす声もあったのも事実だ。
いまでこそ牽制しているトランプだが、実はいっとき、テイラーのファンを積極的に公言していた時期がある。本当に楽曲のファンなのか、得意とするパフォーマンスだったのかは不明だが、いずれにせよテイラーが「カントリー歌手」だった点はトランプにとって有利だったことだろう。要は、トランプ流の白人層へのアピールの材料だったのだ。米国では「カントリー音楽=白人音楽」と扱われる。彼女が自ら語らずとも、トランプ氏の頭の中では「共和党の支持者」というイメージを抱いていたことだろう。
インフルエンサーというよりも“オピニオンリーダー”
米国でのテイラーは、圧倒的に10歳前後の子供達に支持されていた。だからということではないだろうが、コンサート会場には子供が親に連れられて多くやって来た。コンサート後にはファンの何人かを必ず楽屋に招待したりもしていた。しかも会場内には、小さい子供の遊び場まで用意されていた。
「後になって仲違いもありましたが、デビュー当時のテイラーはアメリカン・アイドルという括りでジャスティン・ビーバーとも仲が良く、それこそ、お互いの作品をカバーし合ったり、ジャスティンがテイラーのツアーに同行したこともあって、それも若いファンの拡大につながりました。こうした流れを経て、テイラーは18年から政治的な発言を始めたわけです。忘れてはならないのは、彼女を支持してきた子たちも一緒に育ってきたということ。彼女には10代後半から20代という若いファンが圧倒的に多く、その世代が彼女のSNSをフォローしている。その世代にとってテイラーは、インフルエンサーというよりも“オピニオンリーダー”なのです」(米在住の音楽ライター)
テイラーは自らの音楽を共有してきたそんな若者に対し、
「これまで、私はこの国の人たちすべてが持っている人権のために戦ってくれる候補に投票してきました。これからもそうするつもりです。私はLGBTQの権利のための戦いを信じています。性的指向やジェンダーで人を差別することはどのような形でも間違っていると思います。肌の色に基づく制度的な差別はこの国にまだありますが、恐ろしく病的で、蔓延していると思います。肌の色やジェンダー、どんな人を愛するかに関係なく、すべてのアメリカ人の尊厳のために戦ってくれない人に投票することはできません」
と、素直な気持ちを表明したわけである。
[2/3ページ]