「あの日2人のデザイナーが偶然通りかからなければ…」 横尾忠則が語るデビューのきっかけと「受け入れる」生き方
何度か運命について語ってきましたが、今回は僕の一生を決定的にしたある2つの出来事について話そうかなと思っています。つまり、僕の運命を翻弄した話です。
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前にも書きましたが、高卒と同時に地元の郵便局に勤めて郵便配達夫になることを夢見ていたのです。ところが校長先生や担任の先生から「郵便屋などになるな! 美大へ行け」と無理矢理に受験を薦められ、いよいよ明日が受験日だという前夜、美術の先生が、「やっぱり受験は止めて、郷里に帰れ!」とびっくりするような話の展開になって、「何んで?」とも聞かないまま受験もせず、郷里に戻ってしまいました。先生も優柔不断だけれど僕も素直というか優柔不断ですよね。でもこの時点では郵政研修所の試験も終っていて、憧れの郵便屋さんにもなれなかったのです。
絵は好きだったけれど画家になりたいとは一度も思ったことはなく、趣味の日曜画家でいいと思っていました。受験では翻弄されましたが、結局は僕の運命の神が(いるとすれば)ブロックして美大に行かせなかったんだと思いました。
受験しないで家でブラブラしながら県民紙の神戸新聞にカットを応募する投稿少年のような生活を送っていました。そんなある日、投稿者のひとりで神戸在住のO少年から、常連入選者5人でグループを作らないかという誘いを受けました。高卒後、友達はひとりもいなくなったので、「ほな、参加するわ」と初対面の5人で神戸で会うことになりました。早速グループ名を「きりん会」と名付けました。首を長くして未来を眺めるという意です。そして、早々に神戸の元町通りに面した喫茶店で展覧会をすることになりました。
ある日、元町通りを2人のデザイナーが、「咽が渇いたなあ、どっか喫茶店ないやろか」と店を物色しながら歩いていました。そして2人の目に止った喫茶店がたまたま「きりん会」のグループ展開催中のその店だったのです。
「何んや、展覧会やってるで」、「ほんまや、ちょっと見よか」とそんな会話を交していた2人のデザイナーが席を立って鑑賞し始め、「寺尾さん、この子の絵、ちょっと面白いで」、「ほんまや」、「この子、神戸新聞の宣伝研究所で採ったら、どう」と若い方のデザイナーの灘本唯人さんが神戸新聞のチーフ・デザイナーの寺尾竹雄さんに推薦しました。
「この子」というのが実は僕のことです。そして僕はそのまま神戸新聞のデザイナーとして入社することになってしまったのです。東京の美大に入っていれば油絵画家になるところが、水と油ほど違うデザイナーにさせられようとしている。運命が僕の意志を無視して、画家になることを退けさせ、今、デザイナーにさせようとしているのです。
そこで聞きたいのは本人の意見でしょうね。ところが、その本人の僕は何が何んだかよくわかっていないのです。油で絵具を溶くか、水でポスターカラーを塗るかの違いだけれど、自分が「なりたい」と思ってなる職業ではない。美大にしろ神戸新聞社にしろ、なんだかアミダ籤(くじ)で、「たまたまデザイナーに当たってしまった」ような心境です。デザインの専門教育も受けていないし、デザインの知識も教養も全くゼロです。でも、2人のデザイナーが僕の中にデザイナーとしての可能性を発見したらしく、だから僕はもしかしたらこのままデザイナーの道を歩むことになるのかも知れない、とただ茫然としながら、そう思うしかなかったのです。
僕はまるで他人ごとのような話をしていると思われているかも知れませんが、実際に自分ごとというより他人ごとのようにしか考えられなかったのです。もし僕が2人の推薦者の期待に応えられなかったとしても僕の責任ではなく、あの2人の責任だと思えば少しは荷が軽くなるような気がしていました。もし僕にデザイナーとしての才能と自信があれば、ドジャースに入団した山本由伸投手のように「憧れられる存在になりたい」と、格好いいことが言えるのですが、そんな自信は皆目ありません。海水の中に放り込まれた川魚みたいに、僕はアップ、アップするのではないかと思っていました。
だけど、こうなってしまったのは、あの日、2人のデザイナーが元町を歩いていて咽が渇いたためです。あの時、もし2人の咽が渇いていなかったら喫茶店を素通りして、「あの子」も「この子」もなく、僕は郷里で相変らず投稿少年を演じながら、いつか郵便屋さんになろうという夢を抱いて、次の年の郵政研修所の試験を受ける準備をしていたと思うのです。
立てつづけの運命のいたずらに従がって以来、僕に降りかかってくる色んな状況に対して、あんまり期待も疑問も持たないで、そのまま受け入れていくという生き方を、僕はこの十代の終りにほぼ完全に身につけていて、運命に従がう約束を運命の神としてきたように思います。というのも、その後のほとんどの行為を運命まかせにしているからです。