松本人志への「遊びは三流以下」発言で絶賛された上沼恵美子 「M-1」審査員で意識していたこととは何か

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関西以外でほとんど仕事をしなかった理由

 その後、上沼は結婚を機にコンビを解散し、芸能界から引退してしまった。だが、1979年にNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「鮎のうた」に出演したことをきっかけに、芸能界に復帰。それ以降は、持ち前のトーク力を生かしてバラエティ番組で司会を務めた。

 しかし、夫が在阪テレビ局の社員だったため、上沼は大阪を離れないことに決めていた。芸能活動の範囲も基本的には関西に限定されていた。彼女が関西以外の地域でほとんど仕事をしてこなかったのはこのためだ。

 ただ、2022年に終了した「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」(制作:朝日放送テレビ)をはじめ、在阪テレビ局が制作する全国ネットの番組もいくつか存在していた。それらを通して、関西以外の地域の人にも上沼の存在は知れ渡っていた。

 1994年と1995年には2年連続で「NHK紅白歌合戦」の紅組司会を務めた。このときの白組の司会は古舘伊知郎。東西を代表する「おしゃべりタレント」同士の夢の共演が話題になった。

「M-1グランプリ」では2007年からたびたび審査員を務めてきた。これは恐らく、大会委員長だった島田紳助からの強い要請によるものだろう。

本音を貫くことで得た視聴者からの信頼

「M-1グランプリ」における上沼の審査は「一般の中年女性の感覚」に最も近いような気がする。発想が飛躍しすぎているネタや、頭を強く叩くようなネタには評価が厳しかった。テレビの世界で長年生き残っている彼女は、漫才師たちがテレビの向こう側にいる視聴者にどういうふうに映っているのか、ということも意識して審査を行っているのだろう。

 上沼は好き嫌いが激しく、共演NGのタレントも無数に存在すると言われている。ただ、そんな彼女の歯に衣着せぬしゃべりが、関西の中高年女性の間では圧倒的な支持を受けているというのも事実だ。

 どんなときにも本音を貫くことで、彼女は視聴者からの信頼を得てきた。笑いのカリスマである松本人志にすらはっきりものが言える唯一無二の存在。「M-1 グランプリ」の審査員を退いた今も、上沼恵美子は間違いなく「お笑い界の女帝」である。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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