不老不死は実現できる? 日本がリードする「老化細胞除去薬」の最前線

ドクター新潮 ライフ

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老化しない動物、若返る動物も

「生老病死」。生まれ、老い、病気になって死んでいくことは避けられない苦しみだといわれてきた。

 だが、生物全般に目を向けると老化も死も必然ではない。老化することのないハダカデバネズミやカメ、何度でも若返って生まれ変わるベニクラゲが存在することも知られている。つまり、生物は進化の上での種の生存戦略として老化や死、あるいは老化しないことや死なないことを選択しているというわけだ。

 では、これまで紹介したような老化研究が進めば、人も老いない存在になり、「老病死」の苦しみから解放されることになるのだろうか。

長生きと幸せは別問題

 だが、そこには新たな問題も生じる。先の渡邉准教授も、脳のアップロードが可能になったとしても「天国のような楽園を用意することができた、とシンプルにはいえない。幸せであることはそれとは別問題で難しいと思っています」と話す。なぜなら完全なバーチャルの世界で生きることを人は望まない。できることならば、現世の人と共に暮らしていきたいはずだ、と。またバーチャルの中に社会ができても、そこで競争が起これば、みんなが幸せになることは難しいだろうという。

 確かに、幸せでないまま、苦しみながらでは、不老不死となること、いやそれ以前に寿命が延びること自体が苦痛になりかねない。

 世界各地から健康長寿の秘訣(ひけつ)を求めてジャーナリストが訪れるという、沖縄のある長寿村では、100歳に近い高齢者たちが仕事をし、自立して、人に、自然に囲まれて生きている。まさに楽園のように思えるが、私がその村に足を運び実際に話を聞いてみると「何のために生きているか分からない」「長生きしたいわけではない」と話す高齢者もいた。

 ずっと幸せなまま生きることは、永遠の命を手に入れるのと変わらないほど難しいことなのかもしれない。だから、未来永劫になど生きたくないと考える人たちもいるし、寿命が500歳になるなんて望まない人たちも少なくない。

 とはいえ、若くして死にたいかといえばそう考える人はあまりいないだろう。詰まるところ、われわれの願いは「程よく幸せに生きたい」というところに落ち着くのかもしれない。

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