「河野談話はファクトチェックなしで作られた」 元慰安婦の「心証」を基にした談話は破棄すべき、と専門家が指摘
「心証」から作られた
河野氏は河野談話を出した経緯を次のように語っている。
「それから、これは議論が分かれるところだけれども、日本政府の人が韓国に行って、当時、慰安婦だった人たちに聞き取り調査をして、これを一部の人たちは、でたらめだとかうそ八百だとか言っているけど、もう40年以上たって記憶が曖昧な部分はあっても、発言の内容は心証として明らかに強制的にさせられてというふうに宮沢総理も思われて、そういう意味で強制があったということで結構ですとなった」
私を唖然とさせるのは、「発言の内容は心証として明らかに強制的にさせられてというふうに宮沢総理も思われて、そういう意味で強制があったということで結構ですとなった」という部分だ。「宮沢総理も思われて」といっているが、河野氏も同じ「心証」をもっていたことは他の部分を読んでも明らかだ。
つまり、河野談話は、韓国側が用意した元慰安婦とされる女性たちの発言を聞いた「心証」から作られたのだ。
歴史研究の鉄則に反する方法
歴史研究において、個人的証言をうのみにしてはならないというのは鉄則である。個人的証言は、公的記録や客観的事実と照らし合わせながら、その内容を確認しなければならない。つまり、慰安婦だったというならば、どこの慰安所にいたのか、いつからいつまでそこにいたのか、どういう雇用契約だったのか、そこの責任者は誰だったのか、といった事実を確認し、それらを日本軍の記録と参照して、証言が事実と一致しているか確認しなければならない。
歴史研究としてのオーラル・ヒストリーならば、まず聞き取り調査を行う前に、関連する公文書を読み、事実確認をしておかなければならない。そして、その文書を示しながら、どのようなコンテクストでその質問をしているのかを話し手に理解してもらわなければならない。話し手は、ウソをつくつもりがなくても、事実と違うことを言うことがよくある。内容が何十年も前のことになればなおさらだ。
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