小学校卒業と同時に貴ノ花を訪問、直談判…貴闘力の相撲人生はとにかく劇的だった

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大鵬親方「自分が優勝した時よりうれしい」

 そして、12年春場所では、とうとう前頭一四枚目の幕尻まで番付を下げてしまう。

 貴闘力もこれで終わりか――。

 そんな噂をよそに、初日から12連勝。一般的に突き押し相撲の力士は、「ツラ相撲」になることが多いと言われる。勝ち続ければそのまま白星が続くが、一旦負けると黒星が積み重なる。初日から快調に勝ち続け、気をよくした貴闘力は、一気に白星街道を突っ走ったのである。

 13、14日目は、曙、武蔵丸の横綱と対戦が組まれ、2敗を喫したものの、単独トップのまま千秋楽を迎えた。対戦相手は若手のホープ・雅山。雅山の一気の攻めに土俵際まで追い込まれた貴闘力だったが、土壇場で回り込み、雅山を送り出す。まさに、奇跡が起きた瞬間だった。

 土俵下に降りた貴闘力は、涙が止まらなかった。優勝32回、義父にあたる大鵬親方も、「自分が優勝した時よりうれしい」と、貴闘力を絶賛し、優勝の余韻に酔った。

野球賭博で相撲協会を解雇

 平成14年、34歳で現役を引退した貴闘力は、翌年、二子山部屋から大鵬部屋へ移籍。大嶽親方として、義父のもとで親方修業を開始した。

 平成16年には大鵬親方の定年退職により、大鵬部屋を引き継ぐ形で、大嶽部屋の師匠に収まった。

 しかし、親方業は順風満帆とは行かなかった。平成20年秋、先代からの弟子、ロシア人の露鵬が大麻所持疑惑で、相撲界を去るという事件が起こる。

 そして、平成22年2月初旬の相撲協会の理事選で、かつての兄弟弟子・貴乃花親方の立候補に際して、力を貸したのが貴闘力だった。一門を超えた協力態勢のもと、貴乃花親方は理事に当選。

 ところが、その余波がその後、さまざまな面で貴闘力を追い込んでいく。大関の琴光喜らと同様、野球賭博に興じていたとして、現役時代から賭け事に目がなかった貴闘力に、相撲協会を解雇という厳しい処分が下された。

何を言っても言い訳になる

 野球賭博事件は、社会的にも大きな波紋を広げた。NHKは名古屋場所の大相撲中継を中止し、野球賭博に関わった力士、その師匠たちは謹慎処分となった。

 何を言っても言い訳になる。

 貴闘力は多くを語らなかった。

 その秋、かつての部屋の近くに、焼肉屋をオープン。屋号の「ドラゴ」は、貴乃花親方が命名したものだ。背中に「反省」とプリントされたTシャツを着た貴闘力は、各テーブルの飲み物に気を配り、肉を切り分けるなど、キビキビと接客をこなした。その姿は、不器用だった頃を知るかつての相撲界の仲間や同期生も驚くほどだった。

 4人の息子のうち、3人は学生相撲を経て、相撲界に入門した。出世頭は、三男の王鵬(前頭11枚目)。次男・納谷(三段目)、四男・夢道鵬(幕下)も関取昇進を狙って、日々稽古に励んでいる。

武田葉月
ノンフィクションライター。山形県山形市出身、清泉女子大学文学部卒業。出版社勤務を経て、現職へ。大相撲、アマチュア相撲、世界相撲など、おもに相撲の世界を中心に取材、執筆中。著書に、『横綱』『ドルジ 横綱朝青龍の素顔』(以上、講談社)、『インタビュー ザ・大関』『寺尾常史』『大相撲 想い出の名力士』(以上、双葉社)などがある。

デイリー新潮編集部

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