絶対に許せない!球団事務所に抗議殺到…野球ファンの顰蹙を買った「3大トレード劇」

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1979年の「空白の1日」

 昨オフの山川穂高のFA移籍は、西武、ソフトバンク両チームのファンに釈然としない思いを抱かせたばかりでなく、人的補償選手をめぐるゴタゴタ劇も追い打ちをかけ、批判が相次いだ。そして、過去にもファンの顰蹙を買ったトレードがあった。まず、その反響の大きさから社会現象になったのが、1979年の阪神・江川卓と巨人・小林繁の三角トレードである。【久保田龍雄/ライター】

 77年のドラフトでクラウン(翌年10月から西武)に1位指名された江川は、あくまで巨人入りを望んで入団拒否。翌78年、ドラフトの前日、11月21日に西武の交渉権が切れると、巨人はこの“空白の1日”(調整のための予備日)を「江川と契約可能な日」と拡大解釈し、契約を強行した。

 だが、鈴木龍二セ・リーグ会長に「契約は無効」と却下されると、巨人は翌22日のドラフト会議をボイコット。巨人を除く11球団で行われた会議で、江川は4球団競合の末、阪神に1位指名された。

 これに対し、巨人は「12球団出席の下でないドラフト会議は無効」と提訴したが、12月21日、金子鋭コミッショナーは巨人の提訴を却下し、「江川の入団交渉権は阪神に」という裁定を下した。

 ところが、翌22日、金子コミッショナーは一転「江川を阪神に入団させたあと、速やかに巨人にトレード」という“強い要望”を表明する。

“エガワる”という造語も

 思わぬどんでん返しに世間が騒然とするなか、翌79年1月31日、羽田からキャンプ地・宮崎に向かおうとしていた巨人・小林が、突然呼び戻され、江川の交換相手として阪神へのトレードを告げられた。

 金子コミッショナーは、このままでは江川が阪神の入団を拒否し、“二浪”が確実となるため、「球界全体のことを考えて」三角トレードを示唆したと伝わるが、世間は「無理が通れば道理が引っ込む」と猛反発。ゴリ押しを意味する“エガワる”という造語も生まれた。一方、“人身御供”の形で阪神に放出された小林には同情が集まった。

 知人たちは「辞めろ」と口々に引退を勧め、小林自身も常日頃「巨人でなければ野球を辞めよう」と考えていた。だが、プロ野球人気にも水を差す大騒動に発展したことで、「プロ野球全体のことを考えた」という。

「野球をやめるのはいつでもやめられる。するとプロ野球ファンの中にもやめるという人が出てくるかもしれない。もうプロ野球なんか二度と見たくない…と。僕がきれいにスッパリ阪神に行くということで、もう一度プロ野球とファンをつなげられるかもしれないし。(中略)こういうことに巻き込まれたひとりの選手ということで、社会に与える影響も大きいわけだから、そのことによってプロ野球全体を新しい方向に進められるかもしれないと思った」(「週刊ベースボール」79年2月19日号)。

 同じ「球界全体のことを考えて」でも、金子コミッショナーより小林の考えに共感を覚えるファンが多いはずだ。同年、心機一転、阪神の一員になった小林は、古巣・巨人に無傷の8連勝を記録するなど、自己最多の22勝を挙げ、最多勝と沢村賞を手にした。

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