昭和天皇も見入った麒麟児の突き押し相撲 昭和56年名古屋場所から3年間続いた“面白い現象”とは
十両に落ちてまで相撲を取らせたくない
その間、「花のニッパチ組」のメンバーは、次々と現役を引退していった。横綱を張った若乃花、大横綱・北の湖も両国国技館の土俵に2日間上がって、引退を表明。
麒麟児はすでに35歳となっていた。若々しい相撲は以前と変わらない。稽古場でも、巡業地でも、黙々と汗を流し、若手力士もおこなわないランニングを続ける麒麟児の姿があった。
昭和63年秋場所初日、栃司に敗れた麒麟児は、その相撲でヒザを負傷したものの、その夜、恩人の通夜に出席。ところが、翌朝、ヒザが動かない。急遽、休場しケガの回復に努めたものの、再出場できるまでには至らない。
前頭一三枚目の位置は、負け越し=幕内陥落を意味する。十両に落ちてまで、麒麟児に相撲を取らせたくない――。それは、師匠、先代師匠のおかみさんの親心でもあった。
「22年間お世話になりました。一生懸命やった自分をほめてやりたいと思います」
引退会見の麒麟児の目に、涙はなかった。
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