トライアウトが終わった後、妻が差し出した一冊のパンフレット…28歳で警視庁警察官採用試験に一発合格した元DeNA投手のいま

  • ブックマーク

吉祥寺駅前交番から、「鬼の第四機動隊」へ

 戦力外通告を受けたのは16年オフ。翌17年1月に採用試験を受け、9月から警察学校に入学することになった。この間、大田は人生で初めてのアルバイトを経験する。

「採用試験を受験した後、派遣のアルバイトで土木関係の仕事をしました。人生で初めてのバイトだったので、キツイこともあったけど、ワクワクする部分もありました。“これだけ働いて8000円なのか”とか、お金を稼ぐことについても、初めて実感として感じました」

 17年9月、東京・府中の警察学校に入学した。大田はすでに28歳になっていた。高校を卒業したばかりの19歳の若者とともに過ごす日々が始まった。

「警察学校時代は9歳ぐらい年下の子たちと一緒に生活しました。言ってみたら、《大人と子ども》ほどの違いもあったけど、彼らの成長ぶりは本当にすごかったです。同期なんだけど、“若いってすごいな”って感じていました(笑)。おかげで、僕自身も若い子たちに負けないように過ごすことで気持ちが若返った気がしました」

 警察学校を卒業後、大田は晴れて警察官となる。初めての配属先は武蔵野警察署、吉祥寺駅前東口交番だった。

「休憩時間であっても、110番通報があればすぐに駆けつけなければいけないし、食事中でも同様で、途中で食べるのをやめなければいけないし、いろいろ大変なこともありました。でも、交番の前を通る方が、“お疲れさま”と言ってくれたり、以前、関わった方から、“この前はありがとう”と声をかけられたりするのは嬉しかったです。大変ですけど、直接、声をかけてもらえる職業はあまりないですからね」

 1年間の交番勤務を終え、次に配属されたのが、かつて大学紛争全盛期に「泣く子も黙る四機動」や「鬼の四機」と称された第四機動隊である。いや、「かつて」ではない。現在も警視庁ホームページには「鬼の四機」と大きく謳われている。

「第四機動隊では各大使館や国会などの重要防護施設の警備に携わっています。これまで、即位の礼や2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会、あるいはG7広島サミットなどの警護に従事しました。大規模警備は本当に大変でしたけど、無事に仕事が終わった後は疲れなど吹き飛ぶほどの達成感があります」

 自分の仕事を誇るように、大田は胸を張って答えた。

次ページ:「現役でいる間は、とことん野球に打ち込むべき」

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。