帝京高→DeNA→現在、警視庁第四機動隊員 元プロ野球選手・大田阿斗里さん(34)が語る野球人生
連日、各地からキャンプだよりが届く。いよいよ球春到来だ。真新しいユニフォームに袖を通し、今年にかける選手たち。その一方で、昨年でユニフォームを脱いだ選手もいる。指導者や球団スタッフ、解説者など、野球に関係した仕事に就く人もいるが、そうではなく、異業種の世界に飛び込む人もいる。「元プロ野球選手」という誇りとプライドは、第二の人生でどのような影響があるのか。ノンフィクションライター・長谷川晶一氏が、新たな人生をスタートさせた元プロ野球選手の今に迫る連載。第4回は、横浜DeNAベイスターズとオリックス・バファローズで投手として活躍した大田阿斗里さん(34)を紹介する。(前後編の前編)
「よし、一発かましたろう!」と鼻息荒くプロ入り
身長190センチの長身に制服姿が映えている。背筋を伸ばして敬礼する姿も凛々しく見える。帝京高校時代には甲子園にも出場した。恵まれた体躯を誇りながらも、故障に苦しめられ、9年に及んだプロ野球選手生活では思うような成績を残すことはできなかった(69登板2勝14敗)。27歳で戦力外通告を受けた後、大田阿斗里が選んだのは、警視庁警察官という新たな道だった。
「身内にもいなかったのに、まさか妻の勧めで自分が警察官になるとは思ってもいませんでした(笑)」
本人も予期していなかったという意外過ぎる転身劇。東京・吉祥寺での交番勤務を経て、現在は第四機動隊員として、これまでに即位の礼、2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会、G7広島サミットなどの大規模警備に従事してきた。横浜DeNAベイスターズ、オリックス・バファローズに在籍した大田にとってのプロ野球人生、そして第二の人生を生きる「現在」について尋ねた。
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物心ついたときにはすでに野球に夢中だった。中学生の頃には周りの誰よりも速いボールを投げられるようになっていた。「自宅から通える強豪校」ということで、帝京高校を希望し、小さい頃からの憧れだった甲子園出場も果たした。そして、2007年高校生ドラフト3巡目で横浜ベイスターズ(当時)に指名された。
「中身が子どものまんまプロ入りしたので、“一発かましてやろう”と鼻息が荒かったことを覚えています。特に長期的な目標もなく、何も怖いものもなく、ただただ目の前のバッターと対戦することを楽しんでいるだけでした。自分のベストピッチングが通用しない、そんなことは微塵も考えていませんでした」
当時のベイスターズにはエースの三浦大輔(現監督)を筆頭に、大ベテランの工藤公康も在籍していた。技術はもちろん、プロとしてのあり方、試合に臨む姿勢は、自分とは雲泥の差であることにすぐに気がついた。
「三浦さんはやっぱりエースでした。試合に臨む姿勢も、いつもずっと変わらぬルーティンでした。それは本当に難しいことだと思います。でも、三浦さんはどんな状況下でも、淡々と同じことをしていました。工藤さんは当時すでに大ベテランで、若手に対して積極的にアドバイスをしていました。僕が教わったのは、“再現性を高めるために、あまり動きを変えるな”ということでした。そうすればケガをしなくなるということなんですけど、ただただがむしゃらに投げていただけの高校生には、なかなか理解できませんでした」
実績のある好投手に囲まれて、大田のプロ野球生活は始まった。
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