「日本の原風景が集約された場所」 記念館焼失の永井豪が語った故郷・輪島への思いと未来への提言
新しい街づくり
1月25日、展示棟の耐火対策により記念館が管理する永井氏の原画や原稿、フィギュアなどが焼けずに現存していたことが確認された。これは輪島市の復旧・復興に向けて、一筋の光が差し込んだかのような象徴的な出来事だった。
「復興にあたって個人的には、未来に向けた新しい街づくりをしていただけたらうれしいです。能登半島は日本海に突き出ており、昔は海外から人が流れ着いた土地だったのではと思っています。輪島塗という素晴らしい工芸品が存在するのも、かつては輪島が海外から最先端の技術が伝わってくる場所だったからではないでしょうか」
永井氏はちょうどこの1月24日、輪島市と石川県に計2千万円を寄付すると発表したばかりだった。今後、どのように復旧・復興と関わっていくのか。
「今はまだ具体的なアイデアは固まっていませんが、被災された方々の“前に向かって進もう”という気持ちにご協力できることがあればと思っています。今後は、輪島がもういちど活気に溢れた街になってもらえるような方法を提言していけたら、と思います」
コロナ禍の前には年間80万人もの観光客が訪れ、インバウンドも増え続けていた輪島市。再び輝きを取り戻し、さらなる発展を遂げてほしいと切に願わずにはいられない。