部員わずか19人、全員地元っ子…創部120年・和歌山「耐久高校」を“初甲子園“へ導いた立役者

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校名のごとく“耐えに耐えて”の逆転勝利

 いかにして耐久が甲子園への切符をつかんだのか、その過程を振り返ってみよう。

 新チーム結成直後に開催された秋の県新人戦は、準々決勝で日高に0-1で惜敗した。だが、県の2次予選進出がかかる1次予選の初戦では、名門・箕島に7回コールドで大勝した後、紀央館に6-5、粉河に10-6と続けて打ち勝ち、2次予選進出を決めた。

 2次予選は日高戦で6-0、和歌山東戦で5-0と、エース右腕・冷水孝輔(しみず・こうすけ)投手の連続完封劇で決勝戦進出を果たした。次に待っていたのは、1898年(明治31年)に野球部創部と耐久よりも“年上”の田辺だ。田辺も後に、21世紀枠での出場が決まる。

 伝統校同士の一戦で、耐久は初回に1点を先制し、4回にも1点を追加した。4回裏には同点に追いつかれたが、6回に3点を勝ち越す。その後は先発の冷水が相手の反撃を1点に抑え、5-3で勝利して初の県大会優勝を成し遂げた。

 県1位で出場した秋季近畿大会、初戦の相手は22年夏から3季連続甲子園出場の公立強豪校・社(兵庫)だ。耐久は3回までに2点を失うなど押されっぱなしだったが、2-3で迎えた8回表に1死満塁のチャンスを作ると、4番の岡川翔建外野手が走者一掃の中越え適時二塁打を放ち、試合を5-3にひっくり返した。

 2点差で迎えた9回裏には中犠飛で1点差に縮められ、続いて2死一、三塁のピンチに見舞われたが、盗塁死で試合終了。冷水は162球で完投勝利を収め、まさに校名のごとく“耐えに耐えて”の逆転勝利でベスト8進出を果たしたのだった。

ナイン全員で何度もピンチ乗り切り

 準々決勝の相手は須磨翔風(兵庫)。耐久は1-1で迎えた5回表、2死二、三塁のチャンスを掴んで1点を勝ち越した。8回表も1死満塁とすると、6番・川合晶翔捕手の右犠飛で1点を追加する。さらに7番・中啓隆外野手の左適時二塁打で4点目を挙げ、須磨翔風を突き放した。

 一方でエースの冷水は、3回裏に送りバントを許さず二塁で刺し、直後の1死満塁の場面では二ゴロ併殺に打ち取るなど、毎回のようにピンチを切り抜けていた。結果は4-1での勝利だが、ナイン全員で何度もピンチ乗り切り、“耐えた末の勝利”だった。

 この準々決勝突破で甲子園初出場は確実と思われたが、続く準決勝の京都外大西(京都)戦では体調不良で3人を欠くという窮地に見舞われてしまう。それでも冷水が粘りの投球で投手戦に持ち込み、相手打線をわずか4安打に抑え込んだ。

 だが、6回裏に先頭打者を遊ゴロ失で出塁させると3番に決勝点となるライトへの適時三塁打を打たれる。頼みの味方打線も4安打と沈黙し、0-1で惜敗した。

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