震災対応で馳浩県知事が北國新聞とバトルの理由 「紙面を使って揺さぶりをかける試合巧者」

国内 社会

  • ブックマーク

度が過ぎる擁護

 昨年、馳知事が講演の壇上で、東京五輪の招致活動に際して内閣官房機密費を使いIOCの委員たちに「20万円のアルバムを渡した」と口を滑らせ、炎上した騒動があった。

 北國新聞はこれを受けて同年11月22日付の1面コラムで〈伏せておくことは、しゃべらない。それで世の中は成り立つ。知事も分かっているはずである〉と書いた。要するに、機密費が実際に使われたのかどうかは問題視せず、馳知事が口を滑らせたことがうかつだっただけだと、報道機関としてはいささか度が過ぎる擁護を展開したのだ。

 しかし――。

「北國新聞は22日以降、朝刊1面の能登大地震に関する連載の中で、ネガティブキャンペーンのごとく馳知事を攻撃し出しました。批判の内容は、元日の地震発生時に東京の自宅で過ごしていたことや、初めて被災の中心地の能登半島入りしたのが14日になってからだったことなどです」(同)

批判は妥当な部分もあるが…

 拓殖大学特任教授で同大学防災教育センター長の濱口和久氏も、

「馳知事の能登半島入りが地震発生から2週間後だったのは遅かった。また、初めての記者会見が10日だったのも、同じく遅かったと思います。災害時こそ率先して首長が存在感を発揮し、被災者に希望を与えるメッセージを送ることが重要だからです。未だ彼の情報発信は後手に回っており、被災者とのコミュニケーションがうまく取れていないように見えます」

 と、言うように馳知事への批判は妥当な部分もあろうが、それにしたところでなぜ北國新聞は手のひらを返したのか。特に元日に石川県を留守にしていたのは、家族が暮らす東京に帰っていたからで、言いがかりに近くはないだろうか……。

次ページ:「さすがの北國新聞もしびれを切らした」

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。