TBS「不適切にもほどがある!」 なぜミュージカルが? クドカン5つのこだわりを解説

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ミュージカルはクレージー映画へのオマージュ

 ミュージカルも取り入れた。これが4つ目の面白い理由。映画「ニッポン無責任時代」(62年)などハナ肇とクレージーキャッツ作品のオマージュである。

 第1回で秋津真彦(磯村勇斗・2役)が職場で「ふざけやがってバカヤロウ!」と叫び、市郎が「植木等?」と言い、そこからミュージカルは始まった。オマージュであることを示していた。現代劇が突如としてミュージカルになるという手法はクレージー映画の故・古澤憲吾監督が得意とした。

 クレージー映画の歌は故・植木等さんが歌っていたが、「不適切にもほどがある!」は歌い手が途中で変わる。参加メンバーもクレージー映画より多い。進化している。それでいて撮影時間は映画より短いから、簡単な作業ではないだろう。

 また、このドラマは多面体である。これが面白い理由の5つ目。まずギョーカイドラマの1面もある。渚のみならず市郎もEBSテレビに勤め始めた。しかもギョーカイの描写がリアル。漫才コンビの仲が良いとは限らないこと、芸能人は飛行機がビジネスクラスかどうかをかなり気にすることなどが細かく描かれている。

便利イコール幸せではない

 ホームドラマの1面もある。純子はキヨシの母親・向坂サカエ(吉田羊)に対し、こう打ち明けた。自分の母親・ゆり(イワクラ・33)が81年に亡くなった途端、市郎が気落ちし、ダメになってしまったため、あえて自分が悪ぶって心配を掛けていると。母親から市郎のことを頼まれているとも語った。泣かせる物語でもある。

 物語はどこへ向かうのだろう。まず時代が流れても変わらないものが強調されるのではないか。例えば、市郎と純子の父娘愛である。

 第1話と第2話ではパワハラなど昭和の価値観を讃えるような下りがあったが、最終的には昭和の価値観は否定されると読む。クドカンは「池袋ウエストゲートパーク」(00年)や「木更津キャッツアイ」(02年)、「俺の家の話」(21年)などさまざまな作品をTBSで書いてきたが、弱い立場の人が傷つくようなドラマは描いたことがないからだ。

 このドラマにはやたらとスマホが登場する。日本でのスマホの出現は08年。便利な代物だ。しかし、便利イコール幸せではない。

 スマホはなかったが、ゆりが生きていたころの市郎は幸せだったはず。市郎が新たな幸せを見つけるにはどうすればいいか。この辺に作品の全体像を読み解くカギがあると見る。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。放送批評懇談会出版編集委員。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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