袴田事件再審 法廷で公開された生々しい“恫喝取り調べ”音声の中身 肝心の「自白の瞬間」は無い謎

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一審の裁判官は無実と知っていた?

 さて、本連載では以前、一審の静岡地裁は3人の合議で、巖さんの無実を主張していた熊本典道裁判官以外の2人も無実と知りながら死刑判決を下したのではないか、という趣旨の記事を書いた。このことについて小川弁護士は「さすがにそれはないでしょう」とのことだった。おそらくそれが司法界のみならず世の常識だろう。

 だが、無実かもしれないと思いながら裁判長が死刑判決を下すことは絶対にないだろうか。有罪認定なら死刑しかなかった袴田事件とはいえ、一審判決ですぐに絞首台に送られるわけではない。「何らかの事情」で死刑判決を下した裁判官が「どうせ控訴してくる」と考えても不思議ではない。事実、熊本氏も控訴審で覆ると考えていたという。

 一般に裁判官は、上級審で自らの判決が覆ることを本意としない。しかし、死刑判決を宣告した静岡地裁の石見勝四裁判長が45通のうち44通の供述調書を排除したのは、それらを証拠採用すると先の浜田教授の指摘通り無実が浮かびあがってしまうからではないか。任意性(自由意思で供述できること)がなかったことだけが証拠排除の理由ではなく、「初めに結論ありき」のために採用を避けたと考えている。

 1月17日の記者会見で田中弁護士は「裁判所で行うはずの勾留質問も裁判官が清水署に行ってやっていたんです」と話した。果たして裁判官は(とりわけ石見勝四裁判長。熊本氏は後年、山崎俊樹氏に対して「合議で石見裁判長は無罪に投じてくれると信じていた。まさかの有罪で愕然とした」と回顧している)は、巖さんだけに会って署を去っただろうか。

 裁判官が捜査幹部と接触していた可能性が十分に考えられる。田中弁護士の言葉は筆者に「何らかの事情」を思わせるのに十分だった。再審はあと7回開かれ、5月に結審する。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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