「派閥は本来の政策集団に生まれ変わらなければならない」…茂木幹事長の発言を国民が冷笑する理由

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真の政策集団は官僚

 自民党には政務調査会という“政策機関”が設置されている。先に伊藤氏が触れた「部会」や「調査会」などで、自民党の国会議員や、場合によっては識者などが政策や法案について議論する。

 議論を政務調査会が取りまとめ、党三役である政調会長が党総裁、自民党が政権与党の場合は首相に提言し、予算案など国会の議論に反映される。こちらの場合は「政策集団」と形容できるようにも見えるが、どうなのだろうか?

「確かに政務調査会は政策を取り扱いますが、その叩き台を作ったのは基本的に官僚です。アメリカではシンクタンクが政策議論に大きな影響を与えますが、日本における真の政策集団は、それこそ官僚でしょう。分野によっては有識者会議の答申が政策決定に寄与するケースもあります。しかしながら、政策決定に派閥が大きな役割を果たしたことはないのです。もちろん官僚からも一目置かれる“政策通”の自民党議員はいます。しかし彼らは派閥で教育されたのではなく、一生懸命に自分で勉強や研究を積み重ねたのです」(同・伊藤氏)

 ところが一部の自民党議員は「派閥を解散し、政策集団に変われば有権者の理解は得られる」と考えているように見える。

「政治改革大綱」

 安倍派だった福田達夫・元総務会長は1月19日、「反省の上に新しい集団を作っていくことが大事だ」と記者団に発言。「派閥ではなく、新しいガバナンスの形」と説明した。

 小渕氏と青木氏の茂木派退会にも、「新しい派閥を作るのでは?」という観測が乱れ飛んでいる。1月23日に発表された政治刷新本部の中間とりまとめが「派閥を本来の政策集団にする」と明記されたことも、そうした動きを加速させているのは間違いない。

 1989年のリクルート事件で政治不信が極まったことを受け、自民党は政治改革委員会を設置。伊藤氏は党職員として委員会に参加し、「政治改革大綱」の取りまとめに関わった。

 この「政治改革大綱」には「派閥解消」が明記された。だが自民党における政治刷新の動きは鈍く、そのため、後に自民党は有権者からお灸を据えられる。

 1992年2月に東京佐川急便事件が発覚し、8月に金丸信氏への闇献金が明るみに出た。金丸氏は10月に議員辞職し、翌93年3月に脱税容疑で逮捕された。

 自民党不信は頂点に達し、93年7月の衆議院選挙で単独過半数を割って下野。非自民・非共産の連立政権である細川護熙内閣が誕生した。自民党は党改革実行本部を立ち上げ、派閥政治の弊害を指摘。結果、当時の5派閥は全て解散を発表し、事務所も閉鎖した。

繰り返される歴史

「ところが、その後も派閥は『勉強会』や『政策集団』という名目で温存されてしまったのです。結果、昨年に派閥の資金集めパーティーにおける裏金問題が発覚するまで、派閥は機能していました。政治刷新本部の中間とりまとめは、1994年から起きたことの単なる焼き直しです。これでは自民党は派閥の弊害を改めるつもりはないと言わざるを得ません。新しくできる政策集団が政治資金パーティーを開催しないとしても、それだけでは安心できません」(同・伊藤氏)

 政策集団のトップが1人の国会議員として政治資金パーティーを開き、得た資金を部下に分配すれば目的は達成される。もし政治資金収支報告書に記載しなかったら、裏金を作ることも可能だ。

「やはり今回の問題の本質は“政治とカネ”であり、どうやって国会議員にカネの流れを徹底的に開示させるか、という点が最も重要なのです。『派閥を真の政策集団にする』という議論は一種の弥縫策、もしくは有権者への目くらましでしかありません」(同・伊藤氏)

デイリー新潮編集部

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