「派閥は本来の政策集団に生まれ変わらなければならない」…茂木幹事長の発言を国民が冷笑する理由
派閥のカラー
「派閥の所属議員が昼食を共にしながら、政界の情報交換などを行うわけです。他には夏休みに集まって研修会を開きます。講師を呼んで話を聞く日もありますが、ゴルフなどに興じることも珍しくありません。そして最後は問題になっている派閥の資金パーティーに参加することです。これが派閥の基本的な日常で、どこを取っても政策を論じるような機会はありません」(同・伊藤氏)
「昭和の時代、派閥は政策集団として機能していた。今の派閥は失われてしまった」という意見も目立つ。だからこそ「真の政策集団に戻らなければならない」という論調になるわけだが、伊藤氏はこうした主張には注意が必要だという。
「もし昭和の派閥が政策集団のように見えるのだとしたら、派閥に“カラー”があったからだと思います。派閥のトップが持つ政策観に応じて、『あっちの派閥は親中派だが、こっちの派閥は親台派だ』とか、『あっちは財政出動に積極的だが、こっちは消極的だ』という色分けのようなものはありました。とはいえ、実際に政策の提言を行っているわけではないのですから、政策集団とは呼べません」
新人議員の“雑巾がけ”
同じように自民党のベテラン議員などからは「昭和の派閥は新人議員に“雑巾がけ”をやらせて一人前の政治家に育てた」との指摘も根強い。派閥必要論の根拠にも使われているが、これも「政策集団」の議論とは関係がないという。
「田中派を例に取りましょう。初当選した田中派の議員は、まずは再選と3選を目指すことに全力を注げと指示されます。党の部会や調査会に出席しても、その場では一言も喋ってはいけません。先輩議員の議論にひたすら耳を傾けることしか許されないのです。そして3回目の当選を果たしたら、初めて自由に発言することができます。これは確かに新人議員に対するある種の教育ですが、このプロセスで政策通の政治家が育つわけではありません。政治家としての“常識”を──それは国民にとっての“非常識”だったりもするのですが──教える場でしかなかったのです」(同・伊藤氏)
衆議院選挙が中選挙区制だった時代、自民党の候補者は派閥をベースに出馬した。ところが小選挙区制になると、党が公認候補を選ぶようになった。これで派閥の影響力が低下し、新人議員に“雑巾がけ”的な教育を行うことが減っていったという。
その結果、「魔の2回生議員」や「安倍チルドレン」がスキャンダルを連発するという事態になった。これはこれで派閥の興味深い変化ではあるが、「派閥が政策集団だったことはあったのか?」という問題とは全く関係がない。
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