オカダ・カズチカが新日を退団 エースとして12年間背負ったものは何か
子どものヒーローになれ
だが時運は確実にオカダに向いていた。2012年1月31日、それまでのユークスから、ブシロードが100%の株式を取得する形で新日本プロレスを子会社化。翌日、新日本プロレス本社においてブシロード・木谷高明会長が語った言葉が忘れられない。
「人間が思い入れを持てるのは、自分より20歳上が上限です! 棚橋選手には20代のファンの兄貴として、オカダ選手には、それより若い人の代表として頑張って欲しい!」
当時、棚橋は35歳、オカダは24歳だった。今後の人気を拡大させるため、子どものファンのヒーローとして、まだ帰国して数試合しか行っていないオカダを指名したのだ。それはブシロードの本業である、カードゲームの需要を支える年齢層でもあった。同社のカードゲームのCMには、レスラーではイの一番にオカダが登場している。
それから新日本プロレスのリング上に吹き荒れたのは、まさにオカダ旋風だった。IWGPヘビー級王座初挑戦にして、こちらを奪取(2月12日)。相手の棚橋が同王座の連続防衛記録を自身で着々と塗り替えていた矢先だっただけに、“レインメーカー・ショック”として語られる大事件ともなった。
後楽園ホールに場所を移しておこなわれた初防衛戦(vs内藤哲也。3月4日)では、往年の新日本プロレスのリングアナ、田中ケロが特別にオカダの試合のみコールを担当。さらにその入場時には、まさにレインメーカー宜しく、天から「オカダドル」なる紙幣が乱舞する演出が初めて取り入れられた(こちらは以降、大試合においては定番の演出に)。
だが、それより目覚ましかったのがオカダ自身の躍進ぶりだったことは、冒頭の実績の通りだ。
かつてインタビューした際、休日の過ごし方について聞いた時のことが思い出される。
「プロレスのDVDや動画観てますね。対戦相手のも勿論。プロレス以外に趣味もないですし」
相手から食らった大技を、翌日の対戦では絶妙なタイミングで切り返すオカダを何度観て来ただろう。研鑽の賜物ではあるが、肉体そのものが言語となる故、国境を越えることを厭わないプロレスにおいて、好試合を連発するオカダが海外からも高い評価を得るのは、当然のことであった。
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