【光る君へ】気難しく、小意地が悪く、人に愛されず――紫式部はなぜ「つき合いにくい女性」だったのか
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」のヒロイン・紫式部。今から千年も昔に書かれながら我が国最高の小説といわれる『源氏物語』の著者は、そもそもどんな身分で、どんな人物だったのか。
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吉高由里子演じる「まひろ」は明るく元気な女性として描かれている。
何せ平安時代の話なので、実際のところはわからないが、戦後日本の文壇で活躍した大作家・中村真一郎氏は、紫式部は決して明るい性格ではなく、華やかな生活を謳歌した女性ではなかったのでは、と評している。中村氏の著書『源氏物語の世界』(新潮選書)から、一部を再編集して紹介しよう。
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陰気な才女・紫式部の肖像
私の眼のまえに幻のように浮び上ってくる、我が国第一の小説家の姿はこのようなものである。
11世紀初頭の、平安朝文明の最盛期に、その文明の中心である、京都の宮廷の「女房」のひとり――
しかし、そのようなひとりとしては、あまり華やかではなく、また、気のきいたサロン的な会話も得意ではない。むしろ、気難かしそうにひとりで前栽(せんざい)などを眺めていると、もっと若い同僚たちは、うっかり話しかけるのも遠慮されるような、気詰りな感じを受ける。
彼女は時代の支配者、御堂(みどう)関白道長(みちなが)によって、その娘の中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)の家庭教師として雇われているのだが、絶えず休暇をとっては宮中から下り、そして自分の邸へ戻らずに、都内某所の仕事部屋へ閉じこもって、『源氏物語』の原稿を書き継いでいる。
その小説はひと巻が完成されるごとに、廻し読みされ、また、筆写されて行きわたるのだが、ふだん無口な彼女にも似合わず、小説のなかでは潑剌とした筆使いが見られる。それに、いつの間に耳にし眼にしたのか、当事者以外には誰にも知られていない筈の宮中の人たちの身辺の秘事が、何くわぬ顔で物語の人物たちの身のうえに移されて、抜け目なく書き出されている。
思い当る読者はぎょっとする。油断のならない人である。面と向えば辛辣なことなど言わない人であるだけに、かえって気心が知れない。
それに比べれば、皇后定子(ていし)に仕えていた清少納言のような、毒のない、笑ってばかりいる、エスプリに富んだ明るい女や、また、和泉式部のように、いつも恋に身を焼いて恥も外聞もない生き方をしている底抜けの女のほうが、もしつき合うとすれば、どれほど気が楽か知れない。
それに彼女の日記を覗いてみると、同時代の文学的ライヴァルたちや、また、宮仕えの同僚たちについて、何と小意地の悪い批評を書きつけていることだろう。
特に清少納言に対する攻撃は有名になった。
――彼女は「したり顔」で、漢文など書いてみせるが、よく見れば未熟きわまるものである。他人とは変ったもののように見られたがるキザな性格で、行末は知れたものだ……
というような調子である。
また、斎院(さいいん)の中将と言う女房が、中宮彰子の後宮(こうきゅう)の空気をヤボだと悪口を言ったというので、大いに意地の悪い反駁を行なっている。そして、その反駁ぶりの執こい厭らしい調子で、かえって先方から、「だからヤボだと言うんですよ」と、いい返されそうな気がする。
そういう彼女は、あまり人に愛されなかったのかも知れない。
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中村氏は同書でこうも述べている。
「彼女は自分の過去や現在の諸々の経験のなかで、心に深い傷を与えている事件を、次つぎと物語のなかへ転調させて行った。そうすることで、自分の心の悩みを救い、孤独を癒そうとしたのだろう」
『源氏物語』や関連の研究書、解説などに目を通すと、さらに大河ドラマの見方も深くなるのかもしれない。
※本記事は、中村真一郎『源氏物語の世界』(新潮選書)の一部を再編集したものです。