死亡「桐島聡」親族が“引き取り拒否”で遺体をめぐる混乱も いまだ警察が警戒を解けない意外な理由とは

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親族を名乗る「支援者」の存在

「桐島容疑者がメンバーだった過激派『東アジア反日武装戦線』は1974年から75年にかけ、主に企業を標的とした爆弾事件を計12件起こした極左テログループ。なかでも74年に起きた三菱重工ビル爆破事件では8人が死亡、380人が重軽傷を負う最大の被害を出した。しかし警察の摘発などもあって組織は弱体化の一途をたどり、80年代に入ってからは“自然消滅”したと考えられていた」(同)

 実際、桐島容疑者は死亡前、捜査員の聞き取りに対し、誰の支援も受けず「一人でいた」と話し、組織的な支援体制などは構築されていなかったと見られている。

 同武装戦線のなかでも桐島容疑者は「さそり」グループに属し、75年に起きた銀座のビル爆破事件に関与したとして指名手配。その後、行方は杳として知れなかったが、約40年間にわたり藤沢市内の土木会社に住み込みで働いていたことが判明している。

「容疑者は死亡したが、同武装戦線の“シンパ”など支援者がいまも存在する可能性はゼロといえず、たとえば桐島の親族を名乗って今後、遺体を引き取ろうと画策するシナリオも完全には排除できない。不測の事態に備え、警戒をすぐには解けない状態が続いている」

 死してなお、混乱の芽を残す桐島容疑者。「最期は本名で迎えたい」との言葉も、遺族の側に立てば、自己中心的な言い分にしか聞こえない。

デイリー新潮編集部

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