1日で富士山を4往復! 世界一の山岳ランナー・上田瑠偉が高校で経験した挫折を振り返る(小林信也)

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手強い御殿場ルート

 上田は22年7月13日、「ONE STROKE 富士山4往復」を計画した。

 富士山には富士宮、御殿場、須走、吉田と四つの登山道がある。通常は2日がかりでいずれかのルートで山頂を目指す。上田は1日で4ルートすべて走破する挑戦をしたのだ。過去の達成者は2人だけ。一人は登山家、もう一人が山岳ランナーだった。その記録は11時間53分44秒。上田は当然、記録更新を念頭に朝5時前、雨の中をスタートした。7月半ばとはいえ、山頂に近づけば寒さが厳しい。記録更新が目標だが、他の登山者への配慮は大前提だ。上田は時に立ち止まり、歩くなどして登山者を優先し、走り続けた。

 走行距離57.06キロ、登った高さ6772メートル。記録映像を見れば、とても走るコースと思えない危険な岩場が続く。これを平均時速10.27キロ、9時間55分41秒で快調に走破した。

「富士山は独立峰だからいろんな方向から風が吹きつける。地形も特別です。砂地も岩地もある。吉田ルートには断崖をよじ登るような場所もありました」

 レース後、4ルートの中で一番手強かったのは?と聞かれ、こう答えている。

「想定通り、2本目の御殿場ルートです。あそこは一歩踏んだら半歩下がるみたいな特殊な砂地なので。雨が降ってくれてたおかげで、意外とうまく登ることができました」

 上りでは歩くこともある。下りは相当な勢いがつくが、足元が狂えば真っ逆さまに転落する。一瞬も気を抜けない、集中力の持続も並みのレベルではない。

「4本目を登り切った時、あとは下るだけだと思ったら、グッと込み上げてくるものがあって。ゴールした時に泣けなくなるなってくらい泣きました」

 ライバルに勝つという次元をはるかにしのぐ自然との闘い。上田が挑み続ける地平は従来のスポーツの常識を超える。それこそが山岳レースの魅力だ。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2024年2月1日号掲載

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