“和同開珎”は25万円で購入可能、「どうだ、明るくなったろう」の成金おじさんが燃やした“100円札”に驚きの高値…歴史の教科書に登場する「お金」はいくらで買える?

国内 社会

  • ブックマーク

金の含有率から時代背景を読み解く

 小判と並ぶ江戸時代の代表的なコインといえば大判だ。小判は商人の間で流通したポピュラーな金貨だが、大判は賜与や贈答に用いられる金貨だったため、一般に流通することはほとんどなかった。それゆえ、当時の権力者が威信をかけて鋳造させたものが多く、小判より希少価値が遥かに高い。

 天下人・豊臣秀吉が作らせた天正菱大判は、市場に出たら1億円は下らないといわれる。江戸幕府初代将軍・徳川家康が鋳造を命じた慶長大判も、2000万~3000万円前後の値段がつく。一方、江戸時代に鋳造された最後の大判である万延大判は現存数が比較的多いが、それでも250万~300万円ほどで販売されている。竹内さんがこう解説する。

「大判や小判は純金ではありません。純金は柔らかすぎるため基本的には銀などを混ぜるのですが、大判・小判は当時の政権の財力によって、金の含有量が大きく変化します。江戸時代初期の慶長大判は金の含有率が約85%ですが、江戸末期の万延大判は約57%しかなく、当時の財政難を物語っています。1枚のコインから発行された当時の時代背景をも読み取ることができる。これもコイン蒐集の醍醐味といえます」

日本一有名なおじさんが燃やした100円札の値段は?

 コインの話ばかりが続いたので、最後にお札の話題を取り上げよう。大正時代に入り、日本が第一次世界大戦に参戦すると、造船業などで巨万の富を築いた“成金”が多く誕生した。成金と聞いて連想するのが、「どうだ明るくなったろう」のおじさんである。和田邦坊が描いた風刺画で、「暗くてお靴が分からないわ」という女性の前で、立派なひげを蓄えた笑顔のおじさんが100円札に火をつけて照明代わりにしている。教科書に必ずと言っていいほど登場するので、知っている人も多いことだろう。

 このおじさんが燃やした100円札、もし燃やさずに保存しておけば、どれだけのプレミアムがついていたのだろうか。100円札は当時の最高額の紙幣であり、大正時代までに4種類が発行されている。明治時代初期に発行された「明治通宝100円券」、大黒天の絵が描かれている「旧100円券(通称:大黒100円)」、藤原鎌足の肖像が描かれた「改造100円券(通称:めがね100円)」、そして同じく藤原鎌足の肖像の「甲100円券(通称:裏紫100円)」である。

 このうち、甲100円券は1900年に発行が始まった、当時もっとも新しい100円札だった。おそらく、おじさんが燃やしたのはこの100円札である可能性が高い。では、令和の時代の市場価格はいかほどのものなのだろうか。竹内さんがこう解説する。

「甲100円券はコレクターの間で人気が高く、折れ目がついていても20万円台は下りませんし、状態が良ければ100万円以上することがあります。ちなみに、明治通宝100円券、旧100円券、改造100円券はもともとの発行枚数が少ないうえ、ほとんど回収されてしまったため、現存数がわずか数枚といわれるほどの超貴重品です。もしオークションに出品されたら、数千万円という途方もない値段がつくのではないでしょうか」

燃やさずに札束のままにしておけば

 なんと、おじさんが燃やした100円札は、コレクター垂涎の逸品だったのだ。なんともったいないことをしたのだろう、と思ってしまう。ちなみに、日本は第一次世界大戦で戦勝国となったが、好景気の反動でまもなく不景気に見舞われ、昭和の金融恐慌では多くの成金が財産を失い、没落してしまった。もし、燃やさずに札束のまま保存しておけば、子孫は今頃悠々自適な暮らしを送っていたかもしれない。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。