追悼「山根明会長」 メディアの袋叩きに遭った「歴史の男」が、一度だけ“涙”をこぼした理由 知られざる「山根おろし」の真相とは(スポーツライター・小林信也)

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あの騒動で自分は何も恥じることはありません

 お会いしたのは、あの騒動の時にもずっと山根会長の傍らにいた奥様・智巳さんが経営するクラブ(開店前)だった。謙虚に、そして気丈に山根会長を支える智巳さんの揺るぎない愛情がいかに山根会長を力づけているか、肌で感じられた。

 翌日から毎日のようにLINEで「おはようございます」のメッセージが届くようになった。

 後に改めて山根会長を訪ね、YouTubeで発信するインタビューを収録させてもらった。その会話を通して、自らは世間のバッシングを一身に受けて退任する一方、多くの関係者たちの名誉と秘密を守り、決して泥仕合にしなかった男気(おとこぎ)も理解できた。いまもボクシング連盟の要職にあり、現場で活躍している指導者や関係者の様々な不祥事と、それを会長の立場でいかに山根会長が包容力を持って不問に付し次のチャンスを与えていたかも知らされた。そうした山根会長に救われた人たちが、恩を仇で返すように、束になってクーデターを起こした。そんな目に遭った山根会長のたまらない痛切を私は目の前で思い知らされた。

 山根会長の主張は一貫していた。「あの騒動で自分は何も恥じることはありません。信念に従ってやるべきことをやったまでや。悪いことは一切してません」

オヤジ、ありがとう!

 そう言いながら、ひとつだけ騒動で失ったものをつぶやいた。長男・昌守氏との絆だ。

「あの騒動の後、私は息子とよくないんです……」

 そう言って、声を上げて泣いた。嗚咽はしばらく止まらなかった。もう何年も会っていない。会うこともかなわない、絞り出すような声で山根会長は言った。

 昌守氏は、山根会長が国際舞台でロビー活動を行う資金をほぼ全面的に提供していた。合計すれば優に1億円を超える額だと言う。ところが、あの騒動の中で、昌守氏もバッシングの対象になった。村田諒太選手が金メダルを獲ったロンドン五輪の決勝戦で、前夜になってセコンドに入るよう山根会長から命じられたのが昌守氏だった。昌守氏が望んだのではない。ところが、まるで自分が無理やり目立つ場所に出しゃばったかのように報道され、世間から冷笑された。結果的に山根会長とともに連盟から除名処分も受けた。それをテレビ番組で指摘したひとりが私だった。詫びても詫びようのない過ちが、山根父子の断絶を引き起こしてしまった。

 昨夏、昌守氏にも会う機会をいただいた。心の隅に、なんとか山根会長と昌守氏が再び会える糸口を作れないかとの思いがあった。が、昌守氏の深い憤りを知ってなす術がなかった。

 そして31日の朝。昌守氏からのLINEで会長の逝去を知らされた。短い文面に続いて、動画が届いた。亡くなる直前、昌守氏が山根会長の病床を訪ね、固く両手を握り合って親子の情を交わす光景だった。会長は言葉にならない嗚咽で応える。昌守氏が大きな声で会長に言った。「オヤジ、ありがとう!」

 昌守氏のこの言葉で送ってもらえて、よかった……。

 山根会長、安らかにお眠りください。仲良くしていただいて、ありがとうございました。

スポーツライター・小林信也

デイリー新潮編集部

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