「百人一首」の名歌「歎けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」を慶大名誉教授が徹底解説

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 正月の遊びといえば「百人一首」――というのは「今は昔」の話かもしれません。とはいえ、映画化もされた人気漫画「ちはやふる」などの影響もあり、今でも「百人一首」を楽しんでいる人は少なくないでしょう。

 さて、「百人一首」の中でも、特に有名な歌のひとつに、西行法師の「歎けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」があります。西行歌集研究の第一人者で、慶應義塾大学名誉教授の寺澤行忠さんの新刊『西行 歌と旅と人生』(新潮選書)から、この歌の解説部分を再編集してお届けします。

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 西行の歌で、藤原定家が最も高く評価したのは、「百人一首」に選んだ次の歌である。

〈歎けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな〉

 この歌は、西行諸歌集には「月」や「恋」として一括されている歌群中にある。『千載集』には、「月前恋といへる心をよめる」という詞書のもとに載り、題詠であることを示す。この歌を定家は多くの秀歌選集に採っている。

 とりわけ「百人一首」は、定家が宇都宮入道蓮生から、嵯峨中院のふすまに張る歌の選定を依頼されたものという条件の中で、各歌人の歌を一首ずつ選ぶという企画であり、この歌は定家が最高に評価した歌だったのである。

 「月を見ていると、恋しい人のことがしきりに思い出されて、自然と涙がこぼれ落ちる」という。これは過去の思い出を歌っているわけではなく、いま現在の心境として詠んでいるのであろう。
 
 月が物思いをさせるわけではない。それなのに月のせいだと一瞬かこちたくなる(恨み言を言いたくなる)ような私の涙であることよと、自分をやや突き放したところから詠んでいる。そこには、淡い自虐の念のようなものも感じられる。全体に、甘く苦い思いが漂っている。

 それは定家のもっとも請い願った歌の姿であった。この歌は「御裳濯河歌合」で藤原俊成によって、「心深く、姿優なり」と評されている。恋の懊悩(おうのう)を直截に表現するのではなく、穏やかな叙情に包んで表現したところを、俊成は好ましく感じたのであろう。
 
 ところでこの「歎けとて……」の歌が、「百人一首」において、西行という歌人を代表する歌であるかどうかということに関して、現代の評者の中には、他にも優れた歌が多くある中でこの歌を選んだのは、定家の「選び損ない」だとする見方もなされている。
 
 しかし、そうではあるまい。多くの秀歌撰集に軒並み選んでいるところからみても、定家はこの歌に対して、確信をもって最高の評価を下したのである。

 そのことは、西行のみならず他の歌人の歌についてもいえる。「百人一首」で定家が選んだ歌が、その歌人を代表する歌として不適当だとする見方は常にある。人により歌の見方がさまざまであるのは当然であるが、それが定家の選歌として適切であるか否かの判断は、軽々になされるべきではないであろう。定家は「百人一首」で各歌人の歌を、相当慎重に選んでいるのである。

※本記事は、寺澤行忠『西行 歌と旅と人生』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。

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