身の毛もよだつ、米「18年間少女監禁事件」 現場検証で分かった「犯人の邪悪さ」と捜査官を襲った驚愕の「副作用」

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バス停に向かっている途中に

 1991年6月10日、11歳のジェイシー・デュガードはサウス・レイク・タホ郊外の田舎町のバス停に向かっている途中に誘拐された。それから18年、少女の行方は杳(よう)として知れぬままだった。そのあいだ彼女はずっと、私たちの研究所の目と鼻の先にあるコントラコスタ郡アンティオックのウォルナット・アベニューにいた。そこは、ジェイシーの自宅から250キロ以上離れた場所だった。彼女が生活していたのは、前科持ちの性犯罪者フィリップ・ガリドーと妻ナンシーの家の目立たない裏庭にあるテントと掘っ立て小屋のなかだった。

 身の毛もよだつこの事件には、スティーヴン・キングの小説の要素がすべて含まれていた。監禁中にジェイシーはガリドーの娘をふたり出産し、家の裏の粗末な一画で育てていた。ある日ガリドーは、11歳と15歳になったジェイシーの娘たちを連れてカリフォルニア大学バークレー校を訪れ、キャンパス内で宗教イベントを開く許可を得ようとしていた。ジェイシーの居場所がついに発覚したのはそのときだった。

 2009年8月下旬にこの事件の真相が明るみに出たとき、ジェイシーが自分たちの管轄区内にいたことを法執行機関の職員は誰ひとり知らなかった。それは当局にとって信じがたく、かつ恥ずべきことだった。

虚ろな目をした奇妙な少女たち

 犯人のガリドーは長身痩躯の風変りな男で、青い眼は皿のように丸く、頬はこけ、『アダムス・ファミリー』のラーチのような見かけだった。彼は自身の教会を設立したと言い、神自身から授けられた驚異の力を有していると主張した。大学に勤める注意深いふたりの職員たちが、ガリドーの異様な行動にくわえ、超能力や政府の陰謀に関するとりとめのない話に警戒感を募らせた。しかし、それ以上に彼らが注目したのは、灰色がかった肌と虚ろな眼をした奇妙な少女たちだった。

 捜査を担当した警察官のひとりは、年下の子どもはどこか不気味で、相手の魂を穿つような鋭敏な眼をしていたと振り返った。警察がガリドーの身元調査を行なうと、犯罪歴があることがわかった。暴力的な性的暴行事件で有罪判決を受けて服役し、のちに仮釈放となった性犯罪者だった。警察から連絡を受けたガリドーの保護観察官は、「彼に娘はいません」と言った。ガリドーは、翌朝に仮釈放事務所に出頭するよう命じられた。すると、家族全員が事務所にやってきた――妻、アリッサと呼ばれる若い女性、ふたりの少女。29歳のアリッサは最終的に、18年前にサウス・レイク・タホで誘拐された、当時11歳の少女ジェイシー・デュガードであることが判明した。このニュースは世界じゅうで大々的に報じられた。

 ガリドーは、前科を持つ危険な性犯罪者だった。管轄内の未解決事件に関係しているかもしれないと私は考え、彼について調査を始めた。ガリドーはまちがいなく加虐的なストーカー型の人間だった。

 1972年に彼は、14歳の少女に薬物を飲ませて繰り返し性的暴行したものの、被害者が証言を拒否したため処罰を免れた。4年後、ガリドーは25歳の女性を誘拐・性的暴行した罪で有罪判決を受けた。裁判所の依頼で精神鑑定を行なった精神科医は、ガリドーが慢性的な薬物乱用者かつ性的倒錯者であると診断した。この裁判では50年の刑を言い渡されたものの、わずか11年だけ服役したのちに仮釈放され、故郷の郡の仮釈放当局に身柄を引き渡された。つまり、このコントラコスタ郡だ。3年後、ジェイシーが誘拐された。

ガリドーの自宅を捜索

 私は既知の刑事コナティーに電話をかけ、自宅を捜索するべきだと伝えた。FBIが撤収すると、私たちは捜索令状を取って現場に入った。ジェイシーとふたりの娘たちが生活していた状況を目の当たりにし、衝撃を受けた。三人は掘っ立て小屋やテント、あるいは防水シートの下で眠っていた。そこは2エーカーの敷地の奥の封鎖されたエリアで、母屋の裏庭のさらにうしろ側にあり、高い塀と植え込みによって隠されていた。廃品置き場のようなその場所には、壊れた自動車や古い馬小屋が放置されていた。

 居住区域にはゴミが散乱していた。服がローンチェアにかけられ、タンスの上に食品容器が置かれ、地面に掘った穴がトイレとして使われていた。電力源は、家から伸びる電源コードのみ。その場所にいると、ジェイシーとふたりの子どもたちがなぜそれほど長いあいだ発見されなかったのかよく理解できた。母屋の裏にあるその小さな土地は、人目につかないよう隠されていた。

 私と妻シェリーとのあいだに生まれた子供たちはその当時まだ幼児だったが、この不潔で野放しの環境のなかでふたりが走りまわっている姿など想像だにできなかった。あの不幸な少女はどうやってすべてをやり遂げたのだろう? 水道設備もない倒壊寸前の野営地のような場所で、自身の誘拐犯かつ性的暴行犯である男に孕まされた子どもふたりをどうやって育てたのだろう? そのうえ、育てはじめたときには彼女自身もまだ子どもだったはずだ。

 その現場のど真んなかに立ち、私はコナティーのほうを見やった。それまで彼が言葉に詰まるところを見たことはなかったが、見るからに絶句していた。ずいぶんと長いあいだ私たちは黙ってそこに突っ立っていた。自分がいま何を目撃しているのか、すぐに咀嚼することができなかった。それは、子ども時代が奪われるという悲劇だった。コナティーと私にはともに娘がいた。彼が私と同じ無力感と憤りを抱いているのがひしひしと伝わってきた。「こんなクソみたいなこと、信じられん」と彼はついに口を開いた。その嫌悪の表情は、私が胸の内で感じていたことと一致するものだった。仕事柄どちらも悪魔のような人間たちを見てきたが、ガリドーの邪悪さは峻烈だった。

 その日の夜、自分の子どもたちがサイコパスにさらわれるという夢を払いのけようとして眼を覚ました。悪夢はつねに私の敵だった。気を散らすものがなくて集中できず、恐怖が過熱状態になるとき、きまって悪夢にうなされた。親としての被害妄想は、この仕事にはつきものの副作用だった。くわえて私はそのとき、すべての親にとっての最悪のシナリオとなる現場から逃げ出してきたところだった。明らかに、私は自分の子どもに対して過保護だった。家にいるときでさえ、子どもたちから眼を離すことはなかった。裏庭で遊ぶときにも、眼の届く範囲から出ないよう注意した。アイスクリーム・トラックに子どもだけで行かせるなど、もってのほかだった。児童虐待者はつねに、子どもたちがいる場所を探しているのだ。

※本記事は、『異常殺人 科学捜査官が追い詰めたシリアルキラーたち』の一部を再編集して作成したものです。

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