49年間逃げ続けた桐島容疑者 東アジア反日武装戦線が作成した教本「腹腹時計」に逃亡生活を解くカギが
支援者はいなかった?
事件当時、桐島容疑者は明治学院大学法学部の学生で、西武新宿線・鷺ノ宮駅近くのアパート1階に住んでいた。4畳半一間に台所、家賃は1万4000円。郵便受けには5月19日の朝刊が入ったままになっており、メンバーの逮捕を知って、そのまま逃走した形跡がうかがえた。事件を伝える新聞記事には、近所の住民のこんな声が紹介されている。
「まじめな学生さん」
「坊ちゃん育ちらしい、おとなしそうな感じ」
次に桐島容疑者が警視庁特捜本部の捜査の網に掛かったのは、75年5月31日。桐島容疑者が広島県福山市内の実家に電話をかけた事実をつかんだ。その9日前の22日、同容疑者はアルバイト先だった新宿の大衆割烹店に「体の具合が悪いので休ませて欲しい」と連絡を入れたきり、行方が分からなくなっていた。アルバイト代は月に約5万円。実家からの送金はなく、それでいてグループに上納金を納めていた桐島容疑者に逃走資金はない。ならば実家に……。
特捜本部の読みは当たった。電話に出た父親に、桐島容疑者は「いま岡山市内にいる。金を用意してくれ」と頼んだという。「自首しなさい」という父親の説得には答えず、電話は5分足らずで切れた。警視庁は岡山県警の協力を得て、国鉄(当時)岡山駅や福山駅、バス路線や宿泊施設に捜査員を出すが、逮捕にはいたらなかった。
この頃から公開されている桐島容疑者の特徴は、身長160センチ、中肉・面長。目が大きく、くちびるが厚い。黒縁のメガネをかけ、逃走当時は長髪――ここから、桐島容疑者の長い逃亡生活が始まった。
「このような事案で捜査上、重要視するのはシンパなど支援者や関係者の存在です。金や隠れる場所など、何らかの形で逃走支援に関わる可能性が高いからです。逃走開始から12日で実家に金を無心しているのは、支援する人がいなかったのか、それとも、岡山にいるというのも嘘で、警察の動きを探るためのフェイクだったのか。本人は亡くなる直前の聴取で、誰の支援も受けていなかったという主旨の話をしていたようですが、いずれにせよ、本人が死亡してしまったとなると、こうした詳細な逃走経緯が不明のままになってしまいます」(前出・警察庁関係者)
[2/3ページ]