49年間逃げ続けた桐島容疑者 東アジア反日武装戦線が作成した教本「腹腹時計」に逃亡生活を解くカギが

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最後まで逃げ切った男

 1970年代の日本を震撼させた、連続企業爆破事件の桐島聡容疑者(70)を名乗る男が死亡した。「最期は本名で死にたい」と明かした男は「内田洋」として、約40年間にわたり神奈川県藤沢市内の土木会社に住み込みで働いていた。桐島容疑者の顔は、交番や警察署に必ず張ってあるポスターでおなじみだが、指名手配から間もなく49年。当時の面影はどこにもなかったのだろうか。

「2000年11月、日本赤軍元最高幹部の重信房子氏を大阪府警の特命チームが逮捕しています。そのきっかけは、関係者のアジトを捜査中に、見慣れぬ女性の存在が気になったことでした。その時に注目したのが、彼女が笑った時の口の形。これが若い時の重信氏にそっくりだった。彼女に間違いないと内偵をはじめ、指紋を採取。本人であると確認を取り、逮捕しています。しかし、桐島容疑者は指名手配当時に逮捕歴がなく、警視庁には彼の登録指紋がありません。仮に、顔や容姿が“似ている”と捜査員が思っても、すぐに逮捕とはいかなかったでしょう」(警察庁関係者)

 桐島容疑者は1973年に結成された「東アジア反日武装戦線」のメンバー。組織はやがて「狼」「大地の牙」「さそり」の3グループになり、同容疑者は「さそり」のメンバーに。同グループらは最大の被害となった、1974年8月の三菱重工ビル爆破事件(8人死亡、380人けが)から翌75年5月まで、計12件の爆破事件を起こした。

 桐島容疑者は、75年4月に起きた韓国産業経済研究所爆破事件に関与したとして指名手配されており、他に3件の爆破事件にも関与した疑いがあるという。

「警視庁公安部は75年5月19日、武装戦線のメンバー8人を一斉逮捕しました。一連の事件に関与したとみられるメンバーは10名。これまでに9人が逮捕され、1人が逮捕直後に服毒自殺。死刑確定後に病死したり、超法規的措置で出国したりしたメンバーもいますが、最後まで逮捕されなかったのが桐島容疑者でした」(警視庁担当記者)

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