研ナオコ、令和でも大人気の中島みゆき提供曲「あばよ」のヒットを語る 事務所社長には「レコード大賞はいらないと即答しました」

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デビューしたての中島みゆきに惚れて楽曲を依頼、「あばよ」で初のオリコン1位に

 次いで、Spotify第2位は「あばよ」、第3位は「かもめはかもめ」と、中島みゆきの提供作がランクイン。後述するように、中島みゆき作品は研ナオコの音楽に欠かせない存在となっている。まずは、楽曲提供のきっかけを尋ねてみた。

「私は彼女を“みゆきちゃん”と呼んでいるのですが、みゆきちゃんの曲を初めて聴いたのは、飛行機の機内チャンネルでしたね。そのときはまだ彼女の存在を知りませんでしたが、デビュー曲の『アザミ嬢のララバイ』を聴いて、“歌の世界観が好きだな、この人に曲を書いてもらいたいなあ”と思って、横にいたマネージャーにすぐ頼みました。まだ(2ndシングルで、世界歌謡祭のグランプリを受賞し一躍有名となった)『時代』が出る前のことですね。それ以前から好きだった浅川マキさんと同じ匂いを感じたんですよ。歌い上げるでもなく、言葉だけ置いていくような歌い方がとても気に入ったんです」

 当時、研と中島は同じレコード会社(キャニオン・レコード)に所属していたことも、楽曲提供が実現しやすい状況だったという。

「それで、最初に届いたのが『あばよ』だったんですが、前の年に『愚図』が売れていたので、曲の雰囲気がちょっと似ているかも……と。そこで、もう1曲書いてほしいとお願いして作ってもらったのが、みゆきちゃんの提供曲1発目となった『LA-LA-LA』だったんです」

「LA-LA-LA」は当時、オリコン最高12位のヒットで、今でも研ナオコのコンサート終盤で大いに盛り上がるアップテンポのナンバーだ。そして、その後に発表された「あばよ」が見事に大ヒットし、自身初のオリコン1位を獲得(1位は合計4週、累計売上64万枚以上)。その年の秋から冬にかけて、研ナオコの「あばよ」と都はるみの「北の宿から」が各種ヒットチャートで大激戦となり、「北の宿から」は日本レコード大賞を獲得している。つまり、「あばよ」も各音楽賞で最有力候補に挙がっていたはずだ。

「そうなんです! そのとき、当時の事務所の社長から“レコード大賞が欲しいか?”と尋ねられて、“いえ、いらないです”って即答しました。だって、レコード大賞を獲っちゃうと、次も何かの賞を獲らないと売れなくなったって思われてしまう、そういう時代だったんですよ。社長には、“お前、変わってるな~”って呆れられましたが、私は内心、“ええ、変わっていますけど”と、いたって冷静でしたね。

 だから、(オリコンや各種ランキング番組で)1位だったときも、“あまり長く続いたらまずいな”と感じていました。私って、トップを走り続けるのが嫌なんです。それより、そこそこの順位でフラフラしていたほうが長く続くんじゃないかと思います」

 ちなみに、「あばよ」は息継ぎをする箇所が特に少なく、素人がカラオケで歌った際、途中で区切ったり、声が細くなったりしているのを聴いたことがある。当の本人はどう意識しているのだろうか。

「みゆきちゃんの歌はブレスの箇所が少なくて、肺活量がないと歌えないですが、私は演歌を歌ってきたので、全然OKなんです。難しい歌のほうが、簡単な曲以上に“自分なりに理解して表現する”という作業をしっかりできるので、私は好きなんですよ。それと、みゆきちゃんの歌を歌うときは、その世界を崩さないようにしています。私の声自体が低めなので、明るい歌が似合わない。だから、この歌も特に歌い上げずに、歌詞を大切にして歌っていますね」

「かもめはかもめ」で研ナオコのヒットの勘が的中! “黒い涙”騒動も振り返る

 そして、Spotify第3位の「かもめはかもめ」は、発売から45年ほど経過した今でも“泣け歌”の定番として紹介されるほどの名バラードだ(こちらも、オリコン最高7位、累計33万枚以上)。もともと77年のアルバム『かもめのように』に収録されていたものが、翌年にシングルカットされたのだが、その経緯を尋ねてみた。

「これは、アルバムの中の1曲にしておくのがもったいなくて、どうしても嫌だったんです。そのころ、コンサートで歌っていたわけでもなかったのですが、レコーディング中から“この曲は、アルバムの中で埋もれさせてはいけない”と思っていました。それで事務所の社長やレコード会社にお願いして、シングルにしてもらったんですよ。そうしたら、すごい人気になって。私のヒットの勘って、結構当たるんですよ(笑)」

 ほかにも、彼女の嗅覚が光るエピソードが。

「それまでに発売されたシングルに関しても、みゆきちゃんの提供曲をB面にしておくのはもったいないと思ったので、彼女の楽曲たちを集めてレコーディングしたアルバムが発売されたんです(「NAOKO VS MIYUKI / 研ナオコ 中島みゆきを歌う」)。

 このアルバムは、オリコン最高4位、LPとカセットを合わせて累計36万枚以上の大ヒットとなった。「かもめはかもめ」は、石川さゆり、工藤静香、堀内孝雄、八代亜紀、大友康平、徳永英明など、錚々たるアーティストにカバーされるほどのスタンダードとなっているが、研ナオコ自身は、歌い出しの♪あーき、らめました~と、感情を溜めるように歌う部分をとても大切にしているという。

 さらに驚きなのは、まるで海原にカモメが舞っていくような本作の壮大なアレンジは、研ナオコの歌唱ありきで作成されたということだ。

「私がレコーディングしたのは、ベースとギター、ピアノなど演奏が少ないものに合わせてだったんです。だから、編曲の若草恵(わかくさ・けい)さんが付けてくださったアレンジを初めて聴いたとき、ビックリしました。まるで、ロードショーが始まりそうなほどの大スケールですよね!」

 また、「かもめはかもめ」は、研ナオコが歌いながら“黒い涙”を流していたというエピソードもたびたび紹介されるが、

「それは、なにか音楽関連の賞レースでの出来事ですね。全く期待していなかったから、なおさらに驚いて泣いちゃって。そのときに化粧が落ちて、黒い涙がスーッと流れたんです。でも、社長からは、“歌手なんだから、どんなときでも歌はちゃんと歌えよ”って、言われていたので、音程を崩さないように頑張って歌いましたよ」

 こうして話を聞いていると、声を張らない歌い方をしたり、周囲に気を配る音楽活動のスタンスであったりと、研ナオコは出過ぎることがない。それでいて、いい曲はベストな状況で発表するなど、確固たる意志の強さも感じさせる。このしなやかな生き方こそが、彼女が50年以上にわたって歌い続けられる秘訣なのかもしれない。

 次回は、ランキングの大半を占める中島みゆき作品や、田原俊彦とのデュエット曲「夏ざかりほの字組」についても触れていきたい。

【研ナオコが明かす、中島みゆきやTHE ALFEE、田原俊彦との“リアルな関係性”「トシは、ずっと弟のような存在」】へつづく

【INFORMATION】
CD2枚組ベストアルバム発売中
 歌入り/カラオケのCD2枚組『研ナオコ オールタイム・ベスト』が23年8月より発売中

名作オリジナルアルバム6作品が初CD化
 4thアルバム『泣き笑い』、5thアルバム『かもめのように』をはじめとする6作品が、23年10月に初めてCD化。配信も同時スタート

研ナオコ×中島みゆき アナログベストが3月発売!
 研ナオコと中島みゆきが生み出した名曲から選び抜いた24曲を収録したアナログ盤『研ナオコ 中島みゆき作品 BEST アナログ』が24年3月6日、発売決定

(取材・文/人と音楽を繋げたい音楽マーケッター・臼井孝)

研ナオコ(けん・なおこ)
1953年7月7日静岡県出身。71年、シングル「大都会のやさぐれ女」でデビュー。75年、レコード会社移籍第1弾シングル「愚図」がヒットし、翌年には中島みゆきが作詞・作曲を手がけた「LA-LA-LA」「あばよ」が連続ヒット。以降、「かもめはかもめ」「窓ガラス」など中島みゆき提供作によるヒット曲多数。歌手活動と並行して、CM(「キンチョール」など)やバラエティ番組(「カックラキン大放送!!」「ドリフ大爆笑」など)でのコントも人気に。82年にはサザンオールスターズのカバー曲「夏をあきらめて」が、85年には田原俊彦とのユニット、Toshi&Naokoによるデュエット曲「夏ざかりほの字組」がヒット。近年は、全国各地のコンサートや、梅沢富美男との舞台公演など精力的に活躍中。Xアカウントは(@naokoken77

臼井孝(うすい・たかし)
人と音楽をつなげたい音楽マーケッター。1968年、京都市生まれ。京都大学大学院理学研究科卒業。総合化学会社、音楽系の広告代理店を経て、'05年に『T2U音楽研究所』を設立し独立。以来、音楽市場やヒットチャートの分析執筆や、プレイリスト「おとラボ」など配信サイトでの選曲、CDの企画や解説を手がける。著書に『記録と記憶で読み解くJ-POPヒット列伝』(いそっぷ社)、ラジオ番組『渋谷いきいき倶楽部』(渋谷のラジオ)に出演中。データに愛と情熱を注いで音楽を届けるのがライフワーク。

デイリー新潮編集部

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