八代亜紀が総工費1億2千万円の箱根の別荘を売却 遺産相続はどうなるのか

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 演歌になじみがない世代でも〈しみじみ飲めば〉というサビを聞けば、ああ、と膝を打つ。名曲「舟唄」などで知られる歌手の八代亜紀が昨年12月30日に73歳で亡くなった。故人をしのぶ声に耳を傾けつつも、気になるのは彼女が遺した資産の行方で――。

 本名は橋本明代。1950年8月29日、芸名の由来である熊本県八代(やつしろ)市に生まれた。父親は農家の息子だったが母親と若くして駆け落ちし、一家は貧しかった。小学校の時に、あるジャズ・シンガーのレコードに聞きほれて歌手を志すも、

「中学卒業後は地元のバス会社にガイドとして就職。しかし、歌手の夢は諦めなかった。八代市内で開催されたクラブのオーディションに、当時15歳だったにもかかわらず18歳と偽って応募。クラブ歌手として働くことになるのです」(芸能デスク)

粋なサプライズ

 16歳で上京後、銀座のクラブで歌うように。やがてその歌声は評判を呼び、21歳にしてテイチクレコードからデビューを果たす。22歳の時に「なみだ恋」が大ヒット。そして79年、28歳の時に「舟唄」でその人気を不動のものとしたのである。

「94年には43歳でマネージャーの男性と結婚。おしどり夫婦として知られていましたが、2021年、70歳で離婚しています。女性週刊誌は熟年離婚の原因について、元夫の浮気が原因だと報じました」(前出・デスク)

 波瀾万丈の彼女について、晩年まで親交のあった、俳優の新田純一氏(60)は次のように語る。

「八代さんが私やほかの舞台役者、裏方のスタッフとバリ旅行をした際のことです。全員、参加費として5万円を徴収されていたのですが、現地の空港に着くや否や、封筒を取り出して“お小遣いとして使って”と。封筒の中には参加費の5万円が丸々入っていました。八代さんならではの粋なサプライズです。若手の役者などは特にありがたかったんじゃないですかね」

 苦労を知る彼女ならではの心遣いといえよう。

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