「初対面では相手が“早稲田的”か“慶應的”かを考えます」 日本一有名なネット編集者が明かす“長続きする人間関係”の極意

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藤田社長も「早稲田的」

 私の場合、たまたま両方の大学出身者と多数知り合いになったため、この2つを物差しにしているが、これは地元の「〇〇東高校」vs「〇〇西高校」のようなものでもいい。部品メーカー勤務の人であれば取引先としての「ソニー」vs「パナソニック」、みたいなものでもいい。さらに言うと「犬派」vs「猫派」や、「恐いのはヘビ派」vs「恐いのはゴキブリ派」でも成り立つかもしれない。

 各人がこのような二項の判断材料を持っていると数分で「この人(会社)とは合う・合わない」が分かる。ちなみに、私がこれまで取引をした組織にしても早稲田的・慶應義塾的はあった。

【早稲田的】vs【慶應的】(企業・組織編)
新潮社・小学館vs講談社・マガジンハウス
凸版印刷vs大日本印刷
本田技研工業vsトヨタ自動車
佐賀県庁vs東京都庁
博報堂vs電通
ジュンク堂vs紀伊國屋書店
ANA vs JAL
早稲田大・東大・明治大・日大vs慶應義塾大・青山学院大・立教大・上智大
サイバーエージェントvs LINE

 最後のサイバーエージェントには若干の違和感はあるかもしれないが、私の場合、同社の創業数年後、中途採用で入社した野武士のような人だらけだった頃の印象が強いため「早稲田的」にしている。実際、青山学院大学出身の藤田晋社長にしても私の中では「早稲田的」であり、そのイズムが初期の社員には叩き込まれていたし、それが若い世代にも浸透したのでは、と部外者ながら日々感じていた。

慶應義塾出身でも早稲田的な人も

 二項対立を作ることのメリットは、自分にとって心地よい人・組織・モノを瞬時に判別できることにある。それは「好き・嫌い」「正しい・正しくない」「得する・得しない」などである。「そんなテキトーな判別方法をして後悔しないのか?」と思われるかもしれないが、それはない。人生はAかBかを常に瞬時に判断しなくてはならないし、人間の数は多過ぎる。仮に誤りであったとしても失ったものはもう仕方がない。

 たとえば、同じ日に同業種の企業から仕事のオファーが来たとする。どちらかは断らなければならないとしよう。すると、その時に私は早稲田的な会社を選ぶ。これまでの経験上、早稲田的な会社との仕事は長続きするが、慶應義塾的な会社とは長続きしない。フリーランスになってからもうすぐ24年目に突入するが、初期の頃から早稲田的か慶應義塾的かで判断してきて後悔はない。「自分の勘は正しかった」というのが現在の結論である。もちろん、世の中は「慶應義塾的」な空気感の方が心地よい人も多数いる。だが、両者はうまくは混じらないと経験上分かっている。

 ただし、慶應義塾出身でも早稲田的な人とは仲良くできる。先日、唐津に慶應義塾大学文学部出身の著述家・軍歌研究者・近現代史研究者、辻田真佐憲氏が来た。同氏と初めて会ったのは昨年11月15日の津田大介氏(早稲田大学出身)の誕生会のことだった。元々同氏の著作は読んでいたため「お会いしたかったですよ~」となり、乾杯。

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