紀子さま母娘が手話に熟練しているのはなぜか ルーツをたどると上皇后への思慕の念が
黒柳徹子さん「びっくりした」
秋篠宮妃紀子さまと次女の佳子さまは1月8日、東京都渋谷区の国立能楽堂で開かれた「第43回手話狂言 初春の会」を鑑賞するご予定だったが、紀子さまが体調不良のため、佳子さま一人でのご出席となった。
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紀子さまは胃腸の具合が悪く、昨年末頃から調子が優れずに症状が悪化したのでご鑑賞は取りやめに。宮内庁関係者はこう指摘する。
「小室夫妻の結婚騒動以降、秋篠宮家がSNSで誹謗中傷されていると紀子さまは気に病んでおられるとの噂を耳にしました。ご体調に影響している可能性は否定できません」
紀子さまは手話に熟練され、今回の鑑賞を楽しみにしていただけに「体調不良」と言われても様々な憶測を呼ぶ。不調の程度、原因は、そして何があったのか。
「とても面白かったです」
母の影響もあってか手話に精通する佳子さまは「手話狂言 初春の会」を鑑賞後、出演者らにこう語られた。初春の会は、黒柳徹子さんが理事長を務める「社会福祉法人トット基金」の主催。手話狂言は、聾(ろう)者の俳優がセリフを手話で表現しながら舞台上で演じ、舞台後方から狂言師が声をつけるもので、一緒に鑑賞した黒柳さんは、
「佳子さまの手話が大変お上手なので、びっくりした」
と報道陣に話した。佳子さまは昨年11月、南米ペルーを訪問してリマ市の初等特別支援学校で聴覚障害がある子供たちとご交流。手話で「皆さんにお会いできてとてもうれしい」と挨拶された。ダンス披露には両手を前に、ひらひらとさせる拍手を示す手話で喜びも伝えられている。
佳子さまは近年、手話でのご公務が目立つ。大学卒業後しばらくは就職もご公務もされていなかったため、SNSなどで「ニート(無業者)と変わらないのでは」という声が上ったことを考慮すれば隔世の感がある。
姉の小室眞子さんも、皇族時代から手話に取り組んでいた。2017年8月には、東京都千代田区で開催された「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」に臨席し、開会式で手話を交えて「大事な言葉である手話に対する理解が、より一層、深まることを願っております」と語っていた。
眞子さんは2021年10月に、大学時代の同級生・小室圭さんと結婚してすぐに圭さんが国際弁護士として現在働く米NYに移り住んでいるため、その後の手話への取り組みは明らかにされていないが、前出の宮内庁関係者は「手話のお勉強をやめたとはお聞きしてません」と話している。
大地震の被災者に「声が出なくても」
一方、紀子さまは大学生の時から手話を学習し、ご結婚後も手話を重視して関連する催しには積極的に足を運ばれていて、独自のご活動が定着した。紀子さまも佳子さまも最近は手話の普及にひと役買うためにか、母娘で手話を前面に押し出してご公務への取り組みをアピールされている印象だ。
では、紀子さまの手話がこんなにクローズアップされるようになったのは、いつからだろうか。それを紐解くと、2011年3月11日に起きた東日本大震災の発生から約1カ月後、避難所だった群馬県東吾妻町の温泉施設「岩櫃ふれあいの郷」に行かれた際だと思われる。
震災のショックで声が出なくなった福島県南相馬市からの避難民の女性美容師に紀子さまは「手話はできますか」と声を掛け、うなずいたために手話で意思疎通を図られた。紀子さまが「声が出なくても、話ができますね」と励まされる様子は地上波テレビのニュースなどで報じられている。
ある宮内庁元幹部は「デジャヴかと思いました」と振り返る。
1995年2月、半月前に起きた阪神・淡路大震災で被災者を見舞うため兵庫県入りされた上皇后陛下が、最も被害の大きかった神戸市や淡路島の避難所を見舞われた時のこと。神戸市東灘区の市立本山第二小学校を、移動のバスで去る直前に車内から両手のこぶしを握るしぐさを見せ、「頑張って」のジェスチャーで被災者を励まされた有名なシーンだ。宮内庁元幹部は、この時の様子が思い出されたのだという。
「ご自身と同様に民間から皇室に入られた先駆者の美智子さまを、ずっと“ロールモデル(手本)”にしてこられたのが紀子さまです」
お見合い結婚が一般的だった時代に、軽井沢のテニスコートで上皇陛下と出会い、恋愛結婚に至った正田美智子さん(当時)は、その気品ある“微笑み”で「ミッチーブーム」を起こした。
親近感の湧く笑顔が「紀子さまスマイル」と呼ばれて一世を風靡した川嶋紀子さん(当時)は、父の故川嶋辰彦学習院大学名誉教授の勤務先だった同大学敷地内の職員住宅で暮らしていたため、「3LDKのプリンセス」と称され、やはりブームとなった。
「だから紀子さまは、美智子さまのなさりようを見習うことが重要と考えられたのではないでしょうか」(宮内庁OB)
紀子さまは子供の頃、辰彦さんが米ペンシルベニア大学大学院に留学したため一家で渡米。6歳までペンシルベニア州で過ごした。辰彦さんが学習院大学助教授に就任して一家で帰国すると、公立小学校に一年生から編入している。
「そういう意味では日清製粉グループの創業者一族の美智子さまより『庶民出身のプリンセス』に相応しいといえます」(同)。
紀子さまは長男の悠仁さまを“3年保育”のお茶の水女子大学附属幼稚園に入れられた。
「美智子さまも長女の紀宮さま(黒田清子さん)に3年保育を経験させておられます。学習院幼稚園は2年保育のため、柿ノ木坂幼稚園に入園させて年少の1年間のみ通われたのです。この点も、紀子さまが美智子さまを見習われた部分だと言えます」(別の宮内庁OB)
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