「女と遊ぶ」ではなく「女で遊ぶ」という勘違い 「空気を読む」を日本中に広めた松本人志の影響力

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素人女性を選ぶのは“面白さの最下層”だから? 「女と遊ぶ」ではなく「女で遊ぶ」という吉本芸人の価値観

 松ちゃんに限らず平成期の吉本芸人のトークを見る限り、女遊びというのは、「女と遊ぶ」ではなく「女で遊ぶ」面が強調されていた。「人志松本のすべらない話」で、ナンパした女性に性行為を断られて冷凍肉を投げつけた話を披露したキム兄。「内村&さまぁ~ずの初出しトークバラエティ 笑いダネ」で、ロンドンブーツ淳さんの指示のもと渋谷でナンパを繰り返していたと語った庄司智春さん。その淳さんも昔、極楽とんぼの山本圭壱さんの名前を伏せて素人女性に声をかけ、性行為中に入れ替わるといった話もあった。

 松ちゃんの著書『松本人志 愛』には「おもろい女いますか? こいつ、ほんまおもろいわって女。天然とかでなくて、ちゃんと計算して、フリもきっちりできて。そんなヤツいませんもん」というくだりがある。女は男より「おもんない」、そしてテレビにも出られない素人は最下層。面白くない奴は何をされても文句は言えない、という思想を吉本芸人が共有し、それが成功者の考えだという「空気」ができていたとするならば、素人女性が最も餌食になるリスクは高い。

 今回の件に関して、遊ぶならなぜプロの女性にしないのか、という批判もあった。

 しかし、愚弄してもいいような相手を選ぶなら、怖い人がバックにおらず、「何かされても仕方ない」と「空気を読ん」で泣き寝入りしてくれる相手が一番ということになるのではないか。ゆえに素人女性を好むのだといえば、つじつまがあう。

 素人女性にいかにひどいことをしたかを、ドヤ顔で語る吉本芸人たち。そしてテレビ局も「空気を読み」、スタジオも大爆笑というフォーマットが確立されていた平成期。その積み重ねが、吉本の、ひいては松ちゃんの感覚はやはり正しいものだ、これで笑えない奴は「サムい奴」なのだという「空気」をさらに強固にしていたのではないだろうか。

「空気を読む」ことに依存していた吉本の誤算 「最もおもんない」はずの素人たちが力を持つ時代

 取り巻きから被害者に至るまで、「空気を読む」ことに支配されていたように思える平成吉本芸人たちのエピソードトーク。その延長線上に落とし穴があったのではないか。

 ただ、「空気を読む」ことを周囲に自覚させることで成立してきた悪しき吉本文化は、それゆえに危うい局面に立たされている。今や業界やスポンサーが読むのは、タレントや事務所の顔色ではなくSNSの風向き。松ちゃんたちが「おもんない」と下に見てきた名も無い素人たちの声を、最も気にしなくてはならないという逆転現象が起きている。

 実際に吉本興業は「事実無根」というコメントを覆し、今月24日には「当社としては、真摯に対応すべき問題」とHPで発表。外部の弁護士を交えて関係者に聞き取り調査を行い、事実確認を進めているという。

 多くのコメンテーターが静観の構えを取る中、女性タレントを中心に「アテンド文化」への嫌悪感や、そういう場に置かれた女性の心情に理解を示す意見も出てきている。

 それもまた人気取りの「空気読み」と言われればそれまでだが、面白くなかろうが、おかしなことはおかしいと言うべきだという姿勢は、今このタイミングだからこその変化の表れといえるだろう。

 松ちゃんを明石家さんまさん・タモリさん・ビートたけしさんといったBIG3らと比較して「裸の王様」と断じる向きもあるが、握らせた金額の多寡や女性の属性どうこうというより、「女で遊ぶ」という思考そのものは遅かれ早かれトラブルの種になっただろう。どのような形で事態が収束するかはわからないが、童話「裸の王様」の幕引きは、空気を読まない人間のひと声だったというのが考えさせられる。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

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