日大のドン・田中英壽氏、生前に中国人彼女と入籍していた? 日大への約11億円の損害賠償はどうなるのか

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 日本大学元理事長の田中英壽氏が13日、77歳で逝去した。在任中は“日大のドン”として思いのままに権勢を振るったが、晩年は寂しい日々を過ごしたという。亡くなった経緯と、日大から起こされている損害賠償請求の行方を追った。

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 昨年、体調が悪化した田中氏は母校が運営する東京・駿河台の日本大学病院への入院を希望したが、無情にも断られていた。

「日大は2021年12月に田中さんが理事長を辞任した際、彼と“永久に決別する”と宣言しました。以降、教職員に対して田中さんとの接見を厳しく制限してきたのです。日本大学病院が入院希望を受け付けなかった理由は、以上の流れに則ったからでした。晩年、来客が激減した田中さんは、往年とは打って変わって静かな生活を送っていたようです」(日大関係者)

愛人だった中国人女性と同棲

 田中氏が逝去したのは日大とは別のある医科大学の附属病院だったとか。

「日本大学病院は人道上の配慮から田中さんに、別の入院先を紹介しようとしました。しかし、田中さんはこれを断り、前日大医学部長の後藤田卓志さんなどのかつての舎弟分を頼って、自ら他の入院先を確保したのです」(同)

 ちなみにこの後藤田氏とは、女優の水野真紀氏(53)の夫で徳島県知事の後藤田正純氏(54)の兄でもある。

「かねて田中さんは複数のがんを患っていましたが、昨年の終盤から急激に体調が悪化しました。最後は肺がんで亡くなったといわれています」(同)

 さる田中氏の知人は、逝去の翌14日に行われた密葬についてこう明かした。

「奥様の征子さんを22年10月に亡くした後、田中さんは愛人だった中国人女性と正式に暮らし始めました。密葬は着物姿の彼女によって取り仕切られ、日大相撲部の関係者など生前の田中さんと近しかった方のみが参列したのですが、征子さんのご遺族には声がかかりませんでした」

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