セ3球団を渡り歩いた“代打の切り札”大野雄次さんの告白 巨人を出された原因は長嶋一茂、引退を決意して野村克也監督から送られた言葉
寸前まで進んでいた「西武入り」から急転直下、ヤクルトへ
翌91年オフ、大野はトレードされる。移籍先は藤田元司監督率いる巨人だった。
「球団から、“移籍先はジャイアンツだから”って言われたときは心臓が高鳴ったよ。嬉しいよ、そりゃ。オレ、ジャイアンツファンだから。長嶋さんと同じ千葉出身だからさ。須藤監督から離れられるっていうよりは巨人に入れる、その喜びの方が大きかったよね」
すでに32歳になっていたが、移籍初年度となる92年は51試合の出場機会に恵まれた。原辰徳が神宮の夜空にバットを高く放り投げたシーンが印象的な92年7月5日のヤクルト戦において、延長11回の決勝ホームランを放ったのは大野だった。そして、翌年には長嶋茂雄が満を持して監督に就任。「よし、今年こそ!」と誓った矢先、強力なライバルが現れた。ヤクルトから移籍した長嶋一茂である。
「一茂が来たら、当然オレと天秤にかけられるよね。このときばかりは“そりゃないよ”って思ったよ(笑)」
93年、出番はわずか1試合のみに終わる。そしてこの年のオフ、大野はまたしてもトレード要員となってしまう。
「オフに戦力外通告を受けたんだけど、藤田さんが間に立ってくれて、森(祇晶)監督を紹介されて、西武へのトレードが内定したんだよね」
大洋から大野を獲得したのは、「右の代打がほしい」と考えていた藤田からの直々の指名だった。チームを去った後も、藤田は大野のことを気にかけ、西武への橋渡しを買って出てくれたのだ。だが、事態は急変する。
「ちょうど、西武とヤクルトの日本シリーズが行われていたときだったんだけど、藤田さんから、今度は“ノムさんがお前を欲しがっているぞ”と電話がかかってきたんだ」
前述した、1試合に2本ホームランを放った大洋時代や、原がバットを投げたあの一戦に代表されるように、大野はヤクルト戦を得意とし、野村の前で印象的な一打を放っていた。それにもかかわらず、93年シーズンはほぼ出場機会がなく、野村は大野のことを気にかけていたのだという。
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