能登地震で被災した日本航空石川がセンバツへ 大震災を乗り越えた歴代出場校が甲子園で見せた“大健闘”を振り返る!

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震災の12日後に開催が迫っていた大会

 センバツ開催か中止か、再び議論が交わされたのが、2011年3月11日に発生した東日本大震災の12日後に開催が迫っていた第83回大会だった。

 震災後には大津波や福島県の原発事故など、日を追って事態も深刻化。「中止すべき」の声も出たが、東北(宮城)、光星学院(青森)、大館鳳鳴(秋田)、水城(茨城)の被災地の代表4校すべてが参加可能になったことから、「がんばろう!日本」をスローガンに開催が決まった。

 被災地から出場の4校は、さすがに調整不足は否めず、3校までが初戦敗退となったが、唯一、光星学院が水城との被災地代表校同士の対決を10対0で制し、地元に勝利を届けた。

 4番・田村龍弘(現・ロッテ)の先制タイムリーなど、5回まで毎回の10得点を奪う会心の試合運びも、ナインは「展開に一喜一憂するのは、被災地のことを忘れてるのと同じだぞ」という仲井宗基の言葉を守り、粛々とプレーを続けた。

 翌12年の第84回大会では、震災で最も被害が大きかった宮城県石巻市から石巻工が21世紀枠で選ばれた。前年夏の県大会では、「あきらめない街・石巻!!その力に俺たちはなる」の横断幕を背に入場行進。

 秋の県大会中には台風でグラウンドや部室が浸水する被害を受けたが、たび重なる試練を克服して甲子園初出場。開会式では阿部翔人主将が「日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう。日本の底力、絆を」と力強く選手宣誓した。

「大会で活躍して県の皆さんを鼓舞したい」

 初戦の相手は前年秋の九州大会を制した神村学園。強豪相手に4回までに4点を奪われる劣勢だったが、その裏、先頭の斉藤大晃の三塁打を足掛かりに5長短打を集中し、5対4と逆転に成功。奇跡的とも言うべき猛反撃だった。5回に再逆転を許し、5対9で敗れたものの、試合終了後、スタンド全体から「ありがとう!」の声がナインに送られた。

 さらに13年にも、震災の際の津波で大きな被害を受けた福島県いわき市のいわき海星が21世紀枠で甲子園初出場を果たしている。1回戦では遠軽とのセンバツ史上初の21世紀枠対決となり、0対3で敗れたが、エース左腕・鈴木悠太が5回まで被安打1、無失点の好投。大会史上2番目に短い1時間16分の試合時間も話題になった。

 熊本地震の翌年、2017年の第89回大会では、被災地・熊本から熊本工、秀岳館の2校がアベック出場をはたした。

 熊本工は1回戦で智弁学園に0対9と敗れたが、秀岳館は「大会で活躍して県の皆さんを鼓舞したい」(鍛冶舎巧監督)と、高田商、作新学院、健大高崎を連破して、前年春夏に続いて3季連続4強入りを実現した。

 だが、準決勝の大阪桐蔭戦では、4度の得点機を1度しか生かせず、1対2と惜敗。「決勝に行けば(熊本県)知事とくまモンが来てくれる予定だったのに申し訳ない」と鍛冶舎監督は残念がった。

 そして、今春のセンバツ。日本航空石川には、今回紹介した高校に続くような被災地を勇気づける“聖地”での躍進を期待したい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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