上重聡アナがフリーに…元PL野球部のエースは他局を蹴ってわざわざ日テレに入社、その思惑が外れてしまった原因

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

男性アナが足りない

「シーズンの4~10月は毎日のように中継があり、視聴率(ビデオリサーチ調べ:関東地区・世帯)は20%超が当たり前。巨人が日本シリーズに出ようものなら30~40%もあった。シーズンオフも優勝旅行だ、キャンプに密着だと、男性アナウンサーは何人いても足りない状況でした。タクシーや飲食などの経費も使い放題で、出張は新幹線ならグリーン車、飛行機ならビジネスクラス。普通車やエコノミークラスに乗ったら怒られた時代でした。アナウンサー手当や深夜早朝手当も厚く、みんな定年まで勤め上げ、定年後も契約社員として働いたものです。ところが、2000年頃を境に巨人戦の数字が下がり始めました」

 00年のシーズンオフにイチローが日本人の野手としては初めてMLBに移籍 し、翌年から俄然、MLBが注目された。そして彼の安打数と反比例するかのように、巨人戦の視聴率は落ちていった。

「上重アナが日テレに入社したのは、ちょうどその頃、03年でした。もともと彼は高校時代、PL学園の野球部のエースで、1998年夏の甲子園では準々決勝で松坂大輔を擁する横浜高校と当たり、延長17回の末に敗れたことで注目されました。この頃にインタビューされたことが、アナウンサーを目指すきっかっけになったそうです。立教大学に入学後は、東京六大学野球で史上2人目となる完全試合を達成して有名になり、日テレ、フジ、テレ朝から内定をもらいながら、日テレを選んだそうです」

 入社後はもちろん、プロ野球をはじめスポーツ中継を主に担当した。

居場所がなくなった

「ところが、05年7月の巨人戦ナイター中継の平均視聴率が8・5%と、月別で過去最低を記録。日テレの広告収入は減少し、業績予想を下方修正しました。翌06年は主催試合の中継を67試合から63試合に、07年は40試合に、09年は26試合に削減していきました。すでに平均視聴率は二桁を割るようになっていたからです」

 上重アナはスポーツアナとして居場所がなくなるかと思えば、10年4月から「ズームイン!!サタデー」の5代目総合司会に抜擢された。福澤アナや羽鳥アナ、藤井アナも通った出世街道である。

「上層部からも期待されていたからでしょう。『ズームイン!!サタデー』を15年3月まで務め、翌月からは『スッキリ!』のサブ司会が決まりました。ところが、そのタイミングで、彼が自宅マンションを購入した際、ABCマートの創業者から1億7000万円もの融資を無利息で受けていたことなどが報じられ、彼のスポーツマンというイメージは一変しました。そして『スッキリ!』は、1年で降板することになりました」

 そんな上重アナも中堅アナとなった。

「日テレでは中堅男性アナがダブついています。藤井アナのいなくなった『news every.』の後任は、上重アナの2歳上の森圭介アナ(45)とベテラン勢が占めています。逆に『ズムサタ』は梅澤廉アナ(30)、『ZIP!』など朝の情報番組は平松修造アナ(31)などの若手が担当。上重アナにとって日テレに残ってもあまりいいことはないと判断したのでしょう」

 愛称が“エース”だった上重アナ。入社30年にしてフリーになることを決めた“日テレのエース”、藤井アナとの差は大きい。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。