【女優・夏目雅子の人生】医師から入院を告げられた時、彼女は何と言って泣き崩れたか

  • ブックマーク

「公演をやめろと言うなら死んでやる」

 夏目さんの病気の話を続けたい。

 85年2月、西武劇場(東京・渋谷)の2月公演「愚かな女」で主役を務めていた夏目さんは疲労感を覚え、同14日夜、前述した都内の病院で医師から入院を宣告された。公演は中止である。

 このとき「公演をやめろと言うなら死んでやる」と夏目さんは叫び、泣き崩れたという。筆者も14年前にがんになり、病巣を手術で摘出。放射線治療も始め、一度は落ち着いたかと思ったが、数年前から再び様子が悪くなった。がんが再発し、ステージも上がったことを主治医から告げられた。その瞬間、目の前が真っ暗になった。

 だが、夏目さんはまだ27歳。しかも「不治」のイメージが強い白血病である。

 この年の9月11日に夏目さんは旅立ち、最愛の妻を失った伊集院静さんは激しい喪失感にさいなまれ、運命を呪い、酒とギャンブルに溺れる日々を過ごしたという。だが、そんな伊集院さんが這い上がるきっかけになったのが小説だった。夏目さんは生前、伊集院さんの文才に惚れ込み、多くのクリエイターに売り込んでいた。胸の中に湧き起こる無念さ、哀しみを同居させながら執筆を続けることが、伊集院さんにとって生きる糧になったことは間違いない。

 夏目さんが亡くなってから8年後の93年、実兄で会社社長の小達一雄さんが、がん治療の副作用で頭髪が抜けて悩んでいる患者のため、かつらを無料で貸し出す「夏目雅子ひまわり基金」を設立、同年12月1日から運営を始めた。

 がん患者には、放射線療法や化学療法、免疫療法などさまざまな治療法があるが、抗がん剤の副作用で頭髪が抜けてしまう人が少なくない。特に女性の場合は精神的なショックが大きく、夏目さんも闘病中、頭髪が抜けていくのを気にしていたという。夏目雅子ひまわり基金はいまも運営されている(詳細はホームページで)。

 それにしても、多彩な顔の持ち主でもあった。「海童」という俳号を持ち、俳句をたしなむ一面もあった。

「結婚は夢の続きやひな祭り」

「風鈴よ自分で揺れて踊ってみたまえ」

「油照り汗もなく立つ忠犬ハチコウ」

 写真家・浅井慎平さん(86)が主宰する「東京俳句倶楽部」に所属していた。放浪の俳人・種田山頭火(1882~1940)の句が好きだったという。「大女優になるより、いさぎよく生きたい」という言葉をよく口にしていたそうである。

 次回は、2017年2月16日、84歳で亡くなった作曲家・船村徹さん(1932~2017)。「みだれ髪」「風雪ながれ旅」「矢切の渡し」「王将」など名作は切りがない。5000曲以上を手がけたというが、作曲の原動力はどこにあったのか。筆者にとっては北海道の港町で出会って以来の「人生の師匠」でもあった。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。