【女優・夏目雅子の人生】医師から入院を告げられた時、彼女は何と言って泣き崩れたか
化粧品会社のCMを強烈に記憶している方もいるでしょう。しかし、多くの方にとっては、ドラマ「西遊記」で孫悟空を演じた堺正章さん(77)が呼ぶ「おっしょさん!」が懐かしく思えるのではないでしょうか。女優の夏目雅子さん(1957~1985)。あまりにも若かったその死は、大きな衝撃として伝わりました。朝日新聞編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。聖女となった伝説の女優の人生を追います。
【写真を見る】清純でキラキラ輝く美しいイメージのまま。往年の姿
昭和の名女優
演技が良かった、美しかった、活躍した時期が自分の青春と重なる――。
人によって理由は様々に分かれるだろう。
朝日新聞の朝刊be(週末の別冊版)が「あなたが選ぶ昭和の名女優」と題し読者アンケートをしたことがある(2011年2月12日掲載)。夏目雅子さんは吉永小百合さん(78)に続く2位。ちなみに、3位は大原麗子さん(1946~2009)、4位は八千草薫さん(1931~2019)、5位は池内淳子さん(1933~2010)だった。
急性骨髄性白血病に冒され、1985年9月11日、肺炎のため27歳で早逝。清純でキラキラ輝く美しいイメージのまま、突然、私たちの前から旅立った夏目さんは、人々の心の中で永遠の存在になった。
「聖女」伝説の誕生である。
薄幸をイメージさせる白血病という難病で亡くなった悲劇が、「永遠の聖女」として語り継がれる要因になった。死後、何度も夏目雅子ブームが起きたのも、亡くなったことで神格化され、汚すことができない存在となったこともあるだろう。今月4日、83歳で亡くなった写真家・篠山紀信さん(1940~2024)にも夏目さんを写した作品があり、透明感ある夏目さんの表情は息を呑むほど神々しく美しい。
それにしても、白血病とは……。しかも、女優として脂が乗り、これからの活躍が期待されていたときである。
白血病とは骨髄など造血組織にできる悪性腫瘍だ。白血球が異常に増え、血液を通して病気が全身に広がるため治療が難しいとされる。夏目さんは東京・新宿区内の病院で亡くなったが、病院には新宿の夜景が見えるフロアがある。筆者もその病院に入院したことがあり、夜景を見るのが楽しみだった。夏目さんも黄金のようにキラキラ輝くネオンの海を眺めたに違いない。
三蔵法師で全国区に
夏目さんは1957年12月生まれ。実家は東京・六本木で輸入雑貨店を営んでいた。東京女学館小学校から同中学校、同高校へ進学。10代のとき、ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1901~1974)の映画「ひまわり」(70年)を見て主演のソフィア・ローレン(89)に憧れ、女優への道を志したと言われる。
芸能界入りを両親は猛反対したらしいが、東京女学館短期大学に在学中の76年、日本テレビのドラマ「愛が見えますか…」のヒロイン役に選ばれる。77年には化粧品のキャンペーンガールにも抜擢された。
当時、筆者は高校生。77年のヒットCM、カネボウ化粧品の「Oh!クッキーフェイス」をよく覚えている。こんがりと日焼けした小麦色の肌。夏目さんは抜群のスタイルのボディーを、極小ビキニで惜しげもなく披露した。
「夏目」の芸名は、このCMが夏をイメージするものだったことから生まれたという。たしかに、あの笑顔は、ヒマワリが咲く夏がよく似合う。
海に浮かべたフロートに寝そべったり、ビキニ姿でラクダに乗ったりする彼女の姿は衝撃的だった。夏目さんは19歳。このときのCMディレクターが、後に夫となる伊集院静さん(1950~2023)だったという。
翌78年には、ドラマ「西遊記」(日テレ)で丸刈り姿も美しい三蔵法師を演じ、お茶の間の人気者になる。本来は男性である三蔵法師を、女性の夏目さんが演じたことが話題を呼んだ。高貴で中性的な三蔵法師の誕生である。夏目さんの起用は大成功。ドラマは大ヒットである。夏目さんの知名度が一気に全国区にアップしたことは間違いない。
そのころ筆者は、小説家・横溝正史(1902~1981)が原作のサスペンスドラマシリーズ(TBS系/毎日放送制作)も毎週のように見ており、「悪魔の手毬唄」で夏目さんがヒロインを演じたのをよく覚えている。ドロドロとした血なまぐさい連続殺人事件が中国地方の深い山里で起き、夏目さんが登場したことでドラマに爽やかな風が吹き込んだように思えた(もちろん彼女は犯人ではない)。
「なめたらいかんぜよ!」と夏目さんが啖呵を切った映画「鬼龍院花子の生涯」(82年)も懐かしい。彼女は同作でブルーリボン賞の主演女優賞を受賞。土佐弁のこのセリフを、あのころはみんながマネしたなあ。
でも筆者は、夏目さんの死の前年に公開された遺作映画「瀬戸内少年野球団」(84年)を挙げたい。原作は作詞家・阿久悠(1937~2007)の自伝的小説だ。敗戦直後の兵庫県・淡路島を舞台に、野球を通じて児童らの心を支えようとする夏目さん扮する小学校教師・中井駒子と、彼女を取り巻く人々の物語である。
撮影の合間の84年4月6日、こんなことがあった。夏目さんら俳優陣や篠田正浩監督(92)をはじめとするスタッフらが、ロケ地となった徳島県阿南市立新野小・中学校の共用グラウンドに集まった。参加した地元エキストラは子どもを含めて約300人だったという。
記念写真がある。割烹着の女性らの中で、野球帽の夏目さんが笑っている。強烈な色気チシズムを持ちながら、品格を漂わせていた夏目さんに、周囲の人は爽やかな感動を覚えたに違いない。
単なる美しい女優ではなく、演技がしっかりしていて芯もあったのだろう。うるさ型の映画監督からの評判もよく、「再び使ってみたい女優」としてはナンバーワンだったそうである。
あまり詳しくは書かないが、私生活で悩み苦しんだこともあった。だが「瀬戸内少年野球団」の撮影中は、ホームシックの子役らと一緒に風呂に入ったり、漢字の勉強を手伝ったり……。人気女優とは思えないほど、気さくで思いやりのある人だったという。
[1/2ページ]