「72時間生き埋めになった母の最期の言葉は…」 能登半島地震、遺族たちの悲痛な慟哭

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「ごく普通の専業主婦でしたが、本当に良い妻でした」

 余震が続く中、重光さんに救助の手が届いたのは地震発生から4時間が過ぎた20時ごろ。

「集落の人たちはドンドンと屋根をたたききながら、“どこにいる?”と。下から僕もたたいて“ここや!”と叫ぶ。最後はチェーンソーやバールで屋根が突き破られ、助け出されました。集落のみんなは妻も助けようとしてくれたのですが、辺りは真っ暗で緊急地震速報も鳴り響いていた。あまりに危険ですし、妻がもう無理だということは分かっていた。“もう冷たくなっているから”“危ないからやめよう”とみんなに頭を下げて避難所に入りました」

 秋美さんの遺体が発見されたのは4日の朝だった。

「3日ぶりに対面しました。警察の方から“顔と着衣の確認をしてください”と言われましたが、一目で妻だと分かりましたよ」

 遺骨は現在、秋美さんの姉に預けており、

「集落のみんなと一緒に、家屋につぶされた車を掘り出す作業を行っています。今は避難所ですが、いつか仮設住宅に入ったら一人になったことを実感するんでしょうか。趣味という趣味もないごく普通の専業主婦でしたが、私にとっては本当に良い妻でしたよ」

 236名の死者に加え、安否不明者は19名残る。被災地に鳴り響く慟哭(どうこく)は、いまだやむことを知らない。

週刊新潮 2024年2月1日号掲載

特集「『能登大地震』鳴りやまぬ哀哭」より

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