5歳の時に死にかけ、詐欺事件に巻き込まれ、恐喝事件では1000万円の被害、最後は生活保護に【エスパー伊東の波瀾万丈人生】
“電話帳破り”の誕生
伊東さんが画家としても活躍していたことは意外に知られていない。2018年の「第44回国際美術大賞展」では、「ガネーシャ守護神」と題した絵画が都議会議長賞を受賞。ゾウを描いた筆致は素人のものではなく、先のインタビュー記事によると、子供の時からマンガを描くことが好きだったという。
《小さい頃から絵を描くのが好きだったんですよ。それで小5のときに、今から思えば落書きみたいなものかもしれないけど、作品を完成させて、『ジャンプ』の手塚賞に応募したことがあるんです》
実際、長じてからは、漫画家のアシスタントになったこともあった。だが、睡眠時間が1日に3時間という激務にもかかわらず、月収は5万円。そのため掛け持ちで牛乳配達のアルバイトをしていた。ところが、軽トラで居眠り運転をして、ダンプと衝突事故を起こしてしまう。
事故をきっかけに漫画家になることを諦めた。そしてUFOや超能力に興味があったことから、東京大学のオカルト研究サークルに被験者として応募。そこで意気投合した女性とオカルトサークルを立ち上げると、全国から100人が集まった。
その活動がNHKの目に留まり、ニュース番組で取り上げられると、マスコミの取材が殺到。しかし、伊東さんは肝心のトークが苦手だった。
すると、ある番組プロデューサーから「何か技はできないの?」と訊かれ、打ち合わせを重ねるうちに“電話帳破り”に成功したという。
結婚式余興芸人
素手で電話帳を破るというそれだけの芸だが、インパクトは抜群。ネタの名称は「高速電話帳破り」だったのだが、滑舌が悪いため「高速」が「高卒」に聞き間違えられ、後に「高卒電話帳破り」が正式名称となってしまった。
いずれにしても、「エスパーを名乗りながら全く“超能力”は使えず、その代わりに体を張った“高能力”を披露する」という芸が誕生した。
《他にも何かやれないのかと言われたので、卵の上に載る技と素手でナイフを握る技を考えました》
《そのうち、『話はいらないから技だけやってくれ』と言われて、『スーツも着なくていい』ってことでカンフー着や軍服を着るようになって、気づいたらたけし軍団さんとかに叩かれていましたね》
伊東さんと言えば、フジテレビ系列で放送された「27時間テレビ」でのパフォーマンスが有名だが、知名度アップにつながったのは日本テレビ系列で放送された「投稿!特ホウ王国」(1994~1996年)だった。
人気者になってからの伊東さんは、結婚式の余興に目をつけた。「結婚式余興芸人」を自称し、持ち前のサービス精神で披露宴や2次会を盛り上げると、全国から依頼が殺到。年に数千万円を稼いでいた。
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