ラミレス氏も絶賛…阪神・新外国人「ゲラ」に高まる期待、イチローの“師匠”に指導を受けたことも
「スアレスの再来」とラミレス氏
元DeNA監督のアレックス・ラミレス氏(49)が、自身のYouTubeチャンネル内で、阪神の新外国人投手ハビー・ゲラ(28)を絶賛している。20、21年にクローザーとして活躍したロベルト・スアレス(32=パドレス)に似ているとし、「クローザーも任せられる」。自身も強力な助っ人としてNPBで活躍したラミレス氏の予想コメントに、虎ファンはガッツポーズを取ったという。
【写真】アレンパを実現させるトラの強力助っ人選手たち(阪神タイガースの公式Instagramより)
「ラミレス氏は昨年のちょうど今ごろ、昨シーズンから助っ人に加わったノイジーの打撃成績を予想しています。打率は2割4分台、ホームランは10本から15本程度と予想し(実際は9本)、ほぼ的中させています。この予想もあたるようなら、今シーズンも面白くなりそうです」(在阪記者)
球団史上、投手では初の背番号「00」、もとは内野手など“異色の経歴”を持つゲラには、とにかく期待が集まっている。
「阪神獲得」が報じられてから、ネット上でゲラの投球シーンが流れているが、真っ先に感じるのは、とにかくストレートが速いことだ。最速160キロ強と紹介されているが、常時150キロ台を超えている。そのストレートの威力だけでも、阪神在籍の2年間で113登板67セーブ8ホールドを挙げたスアレスに似た頼もしさが伝わってくるが、
「スアレスはツーシーム系の変化球が得意で、球速が150キロを超えていました。ゲラも同じくツーシーム系の変化球を持っており、やはり、150キロを超えています。ラミレス氏が似ていると指摘しているのは間違いではありません」
これは、セ・リーグのライバル球団スタッフのコメントだ。「アレ(優勝)」の連覇=アレンパを目指す岡田阪神を止めるため、他球団もゲラの調査を開始したようだ。
大谷以上のスイーパー
岡田彰布監督(66)は、新春の各種インタビューの中で、ゲラが22年オフも獲得リストに入っていたことを明かしている。1年をかけての獲得となった経緯は、前年に比べて彼に変化があったからだという。
「腕の振りを少し低くしていた。それでコントロールも良くなっていたから」
スリークォーター気味に投げる新しいフォームは、相当な効果をもたらせたという。
「ゲラは23年シーズン、ブルワーズで8試合、レイズで9試合に登板しています。ブルワーズでは振るわず、4月下旬にレイズに放出されたんですが、自身の投球スタイルを見つめ直す機会にもなったんでしょう。移籍後はスイーパーを要所で投げるようになりました。曲がり幅の大きさなら、大谷翔平(29)より上かも。元々、持ち球のなかにスライダーもあったんですが、レイズ移籍後にヒジの位置をやや低くし、制球難の解消と同時にスライダーがスイーパーに進化していったんです」(米国人ライター)
160キロの真っ直ぐと、大谷を凌ぐスイーパー。この情報だけでも期待できそうだが、元内野手の経歴もプラスに転じそうだ。
「内野手時代、マイナーで通算48本 のホームランも打っています」(前出・同)
内野時代は主にショートを守っていた。パドレス・マイナー時代、トッププロスペクトの一人にも挙げられ、そこで出会ったのがイチロー氏(50)のNPB時代の師匠にもあたる、新井宏昌氏(71)だった。
「元国際スカウトだったゼネラルマネージャーのA.J.プレラー氏が、日本球界の指導の細かさに着目し、チームのアドバイザー職、野茂英雄氏(55)の要請もあって新井氏が臨時コーチで招かれたんです。18年当時、野茂氏もグラウンドに出てきて、日本の球界OBがマイナーの若手を教えるという、今までにない光景が見られました」(前出・同)
新井氏は主に打撃を担当したが、「守備が巧い。打撃さえ良くなれば」と一目を置いていたのがゲラだった。
「野茂氏も現地メディアの取材で、メジャーに定着できる若手だと話していましたし、新井氏も右投げ左打ちのゲラのことを『イチロータイプか、ゴジラ松井タイプかを見極めて』なんて楽しそうに話していましたよ」(現地記者)
ゲラも評価されたことが嬉しかったらしく、居残り練習にも積極的に参加し、新井氏の放るトスを必死に打ち返していたそうだ。しかし、争ったライバルが強敵だった。19年ア・リーグ新人王レース3位で、21年本塁打王のフェルナンド・タティス・ジュニア(25)だ。言うまでもなく、現パドレスの看板選手であり、ナ・リーグを代表する遊撃手である。
「新井氏はゲラの身体能力の高さを惜しみ、その話はNPB時代の愛弟子であるイチロー氏にも伝えられました。19年、フェルナンド・タティス・ジュニアは開幕メジャーの座を掴み、ゲラはキャンプ中に投手に転向したのです」(前出・同)
この頃は、ショートでのメジャー昇格を争っていたので、もともと肩が強かったのだろう。スプリングキャンプ中に「球速が100マイル(約160キロ)を超えた」という逸話も残っている。
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