日本のシティ・ポップに多大な影響を与えたマリーナ・ショウが死去 来日時に何を語っていたか
1月21日、アメリカの歌手、マリーナ・ショウさんの訃報が伝えられた。誰もが知るヒット曲を持つ、という存在ではないのだが、国境を問わず「同業者」に与えた影響は大きい。
彼女の代表作であるアルバム『フー・イズ・ジス・ビッチ、エニウェイ』は、玄人筋からの高い評価もあり、1975年発売であるにもかかわらず、21世紀になってもなお支持され、若い世代からの「再評価」も受けて多くのリスナーを得ることとなった。
少し前ならば「渋谷系」、最近人気の「シティ・ポップ」の中にも、彼女の楽曲に影響を受けたと思われるものは少なくない。
「ミュージシャンズミュージシャン」と言われるゆえんである。
彼女への貴重なインタビューをしたことがあるライターの神舘和典氏が、追悼の意を込めて、その音楽と人間性の魅力について寄稿してくれた。
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神様が「歌いなさい」
アメリカのソウル・シンガー、マリーナ・ショウが、1月19日に永眠した。81歳。娘のマーラがSNSで訃報を伝えた。死因は未発表だが、安らかな最期だったという。
マリーナは、世界中のミュージシャンが影響を受けた“ミュージシャンズミュージシャン”。1942年ニューヨーク州生まれの彼女は、1960年代に地元のジャズ・クラブで歌い始めた。1967年のレコード・デビュー後は、1969年に録音したアルバム『ザ・スパイス・オブ・ライフ』のなかの「カリフォルニア・ソウル」が人気になった。
彼女にインタビューのチャンスをもらったのは、2010年の来日公演のとき。会場となったビルボードライブ東京の楽屋だった。
「人は生まれたときはみんなクリエイター。神様からなにかしら才能を授けられているの。私にとっては、それは歌だった。だから、子どものころから歌ってきた。歌って、歌って、気がついたら、今もこうして歌っているの。大切なのは続けること。やめないこと」
開演前、レジェンドを前に緊張気味の筆者のインタビューに、彼女は気さくに対応してくれた。
「でもね、もちろんやめたいこともあった。私には子どもが5人いた、孫もいて、ひ孫もいる。ずっと家にいたいと思うことだってあるわ。でも、もう引退しようかしら、と考えると、エージェントから電話があるの。パリ、フィンランド、東京でショーのオファーが来ている、と。歌いなさい、と神様に命じられているのかもしれないわね」
リリースから40年で「再現ライブ」
彼女のキャリアには奇跡的な名作がある。1974年にブルーノート・レーベルで録音された『フー・イズ・ジス・ビッチ、エニウェイ』だ。ジャズ、R&Bがブレンドされて洗練されたこの都会的なソウル・アルバムは、世界中のリスナーを魅了し続けている。
マリーナの歌を支える演奏も素晴らしい。メンバーは、チャック・レイニー(ベース)、デイヴィッド・T・ウォーカー(ギター)、ラリー・カールトン(ギター)、ハーヴィー・メイスン(ドラムス)、ラリー・ナッシュ(キーボード)など。今も第一線で活躍するレジェンドたちが抜群のグルーヴを生んでいる。
この『フー・イズ・ジス・ビッチ、エニウェイ』は、2000年代から2010年代にも日本の音楽シーンであらためて盛り上がった。マリーナがレコーディング・メンバーとともに来日。リリースから約40年を経て、チャック、デイヴィッド・T、ハーヴィー、ラリーとこのアルバムの曲を再演した。名盤の曲をオリジナル・メンバーの歌と演奏で聴きたい――というリスナーの切なる願いに、ビルボードライブ東京のスタッフが個々のメンバーに交渉を重ねたという。連日フルハウス。客席には日本のミュージシャンの姿も目立った。
70歳を迎えようとしていたマリーナは杖を頼りにステージに現れたものの、その声は奇跡のアルバム当時の艶を感じさせた。ハーヴィーとともに「ダイローグ」の男女のやり取りも再現。
『フー・イズ・ジス・ビッチ、エニウェイ』のショーは大好評で、2016年までほぼ毎年開催された。
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