南部虎弾さん死去 「俺の前座をやりな」と売れない若手に手を差し伸べた“素顔”を知人が初告白「交友のあったエスパー伊東さん、キラー・カーンさんの急逝が大きなショックに…」

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「電撃ネットワーク」の南部虎弾さん(72・本名=佐藤道彦)が1月20日、脳卒中のため亡くなった。いまも追悼の声が広がるなか、20年以上にわたり親交のあった元「殴られ屋」で俳優の松川幸雄氏が、南部さんとの思い出と知られざる「人柄」を語った。

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「1月8日に池袋サンシャインシティで、元K-1ファイターで空手家の村上竜司さんの還暦を祝うパーティが開かれ、芸能界や格闘技界などを中心に約150名が集まりました。そのなかに南部さんの姿もあったので、お声掛けすると『よう!』と笑顔で答え、元気そうな様子だったのですが……。ただ私が『キラー・カーンさんが亡くなりましたね』と言うと、南部さんは『そうだね』と寂しそうに呟いていました」

 こう話すのは、元フェザー級プロボクサーでVシネマなどにも出演歴のある松川幸雄氏(59)だ。昨年末に動脈破裂で急死した元プロレスラーのキラー・カーン氏(76・本名=小澤正志)、さらに1月16日に亡くなったお笑い芸人のエスパー伊東氏(63・本名=伊東万寿男)とも南部さんは交友があったという。

「とくにエスパーさんのことを南部さんは可愛がっていて、よく気にかけていました。プライベートでも“型破り”なエスパーさんとの接し方に苦慮する人も少なくないなか、南部さんだけはいつも自然体で接し、エスパーさんからも慕われていた。(南部さんの死因である)脳卒中はストレスによっても引き起こされる可能性があると聞くので、カーンさんに続き、エスパーさんまで亡くなったことに“大きなショックを受けたことが一因かも”と悔しそうに話す関係者もいます」(松川氏)

 エスパー伊東氏は「多発性脳梗塞」を発症し、2018年12月から休業と入院生活を余儀なくされたが、その後のコロナ禍などの影響もあり、面会が叶わない状態が続いていたことに南部さんは心を痛めていたという。

「エスパー2号になればいい」

「私が南部さんと出会ったのは1990年代の末頃。当時、私は新宿のコマ劇場前で『殴られ屋』として活動していた元ボクサー・晴留屋明氏のマネージャーをしていたのですが、南部さんは晴留屋氏に『頑張れよ』などと声をかけ、応援していたのです。私が晴留屋氏のあとを継いで『殴らん屋』として“1分1000円で殴られる”仕事を引き継いだ時も、変わらず応援してくれた。その後、私は俳優業を志しますが、仕事がない時には南部さんが『前座をやりな』と自分のイベントなどに呼んでくれたことが何度かありました。ある時、南部さんが冗談めかして『エスパー2号になればいい』と私に言ったことがあった。仕事の先行きが不透明だった当時の私の状況を察して“なんとかなるよ”と励まそうとしてくれたのだと思います」(松川氏)

 こういった面倒見の良さは松川氏だけでなく、周囲の誰に対しても同じだったという。

「私以外にも、くすぶっている芸人なんかで南部さんのイベントや集まりに呼んでもらい、『もう少し頑張ってみよう』と踏ん張りが効いた人間は多かった。南部さんは(相手の)地位や肩書、有名・無名などはまったく気にかけず、誰とでも分け隔てなく接する人でした。おまけに困っている人は放っておけない性分で、当たり前のように手を差し伸べる姿に正直、何度も驚かされました。ステージ上では過激なパフォーマンスで知られますが、プライベートの南部さんはただ陽気で、バカを言ってはいつも笑っている印象しかありません」(松川氏)

 南部さんを慕っていたなかには、元サッカー選手のラモス瑠偉氏やタレントのセイン・カミュ氏などもいたという。

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