渦巻く嫉妬で「源氏物語」よりドロドロ… 「光る君へ」を最高に楽しむ鑑賞法を伝授

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清少納言への対抗心

 紫式部は、一条天皇の皇后定子に仕えていた清少納言に対し苛烈な評をしていることでも知られる。

「清少納言こそ、得意顔をしたとんでもない人です。あれほど利口ぶって漢字を書き散らしていますが、そのレベルはというと、よく見ると足りないところがたくさんあります。あんなふうに人と違った個性を発揮しようと心がける人は、必ず見劣りして、行く末は悪くなる一方です。風流ぶることが身に付いてしまった人は、とても寂しくつまらぬ時でも、“もののあはれ”に進み、面白いことも見逃さぬようにしているうちに、しぜんとよくない軽佻(けいちょう)浮薄な有様にもなるのでしょう。そういう軽佻浮薄になってしまった人の成れの果てはろくなものではありません」

 すでに定子は崩御し、彰子には皇子が生まれ、双方の勝敗が決定した状態での悪態……そのことばの裏には、政治的に敵対していたサロンを代表するライバルへの対抗意識や、清少納言個人への敵愾(てきがい)心もあろう(清少納言は「枕草子」で紫式部の夫やいとこの微妙なエピソードをつづっていた)。それに加え、好き勝手しながら、自分の居場所を確立していたかに見える清少納言への嫉妬心もあったのではないか。

知識をアピールする清少納言とは真逆の態度

 というのもこの記事の直後、紫式部はわが身を省みて、「何一つ思い出になるようなふしもない」などと書きつづりながら、煩わしくも心の波立つ宮仕えを、「バカに徹すること」で乗り切ろうとしたことを記している。人前では、一という漢字も書きおおせぬふり、屏風の字も読めぬふりをするなど、

“ほけ痴れたる人”(ぼけたバカな人)

 になり切ったのである。知識をアピールする清少納言とは真逆の態度を取ったわけだ。

 すると、どうだ。

「こんな方だとは思わなかった。風流ぶって、こちらが気後れするような感じで、とっつきにくくて、よそよそしくて、物語好きで、気取っていて、何かというと歌を詠んで、人を人とも思わず、憎らしげに人を見下しているような方なんだろうって、“みな”で言い合って憎らしがっていたのよ。それが会ってみたら不思議なほどおっとりとして、(「源氏物語」を書いた人とは)別人かと思った」

 と、“みな”が言うようになったではないか。

「風流ぶって」以下の前評判のすさまじさに震えがくるが、それを余さず書き記す紫式部の執念も恐ろしく、作家の業のようなものを感じる。

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