渦巻く嫉妬で「源氏物語」よりドロドロ… 「光る君へ」を最高に楽しむ鑑賞法を伝授
やっかみまじりの反発
確かなのは、紫式部が人に仕えるわが身を嘆きながらも、彰子の家庭教師に抜てきされて、身分以上の厚遇を受けるようになったことだ。しかも一説には出仕前に書かれた部分もある「源氏物語」がスカウトのきっかけになったともいわれ、内裏女房からも同僚女房からもやっかみまじりの反発を受けていた。
「源氏物語」が評判になって、一条天皇が、
「この人は日本紀(にほんぎ・「日本書紀」などの歴史書)を読んでいるね。実に学識がある」
と仰せになると、とたんに、“日本紀の御局(みつぼね)”などと内裏女房にあだ名を付けられる。
「紫式部集」には、“いといたうも上衆(じやうず)めくかな”(ずいぶんと貴婦人ぶってるわね)と、ほかの女房が言っていたのを聞いて詠んだという詞書の歌も載っている。
「さし当たって、恥ずかしいとかひどいと思い知ることだけは免れてきたのに、宮仕えに出てからは、本当に残るところなく思い知るわが身のつらさであることよ」
紫式部は、日記にそう書いている。
紫式部自身も貴族女性に嫉妬
一方で彼女は、宮仕えをしていない貴族女性に嫉妬に似た思いを抱いてもいた。
仲良しの同僚と宮仕えの愚痴などを言い合っていると、公達が次々とやって来てことばを掛けてくる。適当にあしらうと、公達はそれぞれ家路へと急いで行く。それを紫式部は、
「どれほどの女性が家に待っているというのかと思いながら見送った」
と記している。
さして優れているとも思えないのに、男の家路を急がせるほどに大事にされている女がいる。それに比べて私や同僚は、煩わしい宮仕えの身の上という不運さ。
娘を天皇家に入れて、生まれた皇子を即位させ、その後見役として貴族が権勢を握っていた当時、女の地位は武士の時代と比較すれば格段に高く、紫式部のような能力のある女は重用されもした。しかし貴婦人は夫や親兄弟以外の男には顔を見せないことが基本だったため、多くの男たちと接する宮仕えは良くないとも考えられていた。清少納言は「宮仕えする女を軽薄で悪いことのように言ったり思ったりしている男などはとても憎らしい」と「枕草子」に書いている。
女が重用されながらも、根っこのところでは男社会であるという、現代日本にも似た女の生きにくさに、紫式部も苦しんだのである。ここにはまた、ある程度の女の地位の高さがありつつも、女が抑圧されている(だから言いたいことが増えていくのだ)という、女流文学の生まれる社会の条件のようなものも見てとれよう。
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