「岸田派解散」の後は「6月解散」に望みを託す岸田首相 次のポイントは4月28日
総裁選前に選挙
岸田文雄首相が18日、自ら率いてきた宏池会(岸田派)の解散を表明したことで、永田町は上を下への騒ぎとなった。三頭政治として政権運営を共にしてきた麻生太郎自民党副総裁、茂木敏充幹事長にも事前に相談することがなかったため、2人との決別宣言ともなったといえるだろう(派閥解消についての党内の本音については、【関連記事】〈首相の「岸田派解散」という奇襲攻撃で「派閥ゾンビ」にとどめを刺せるのか〉で詳報)。今回の思い切った決断に至る岸田首相の心のうちと、その後に見据えているという6月解散についてお伝えする。
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「岸田首相が派閥解消を発表する少し前、16日とか17日くらいから、6月解散という言葉が出始めてはいました。ただ、それはあくまでも10日に立ち上げられた政治刷新本部で検討されている中身が漏れてきていたことに関連しています。そこでちょっとしたサプライズを演出することで低空飛行を続ける内閣支持率上昇のきっかけにし、予算委員会を乗り切って4月前半予定の訪米を成功させ、賃上げが期待以上となって……という好循環を想定した結果の6月解散説でした」
と、政治部デスク。
昨年にもあった6月解散説
自民党総裁選は9月に予定されているが、その前に解散に打って出て勝利し、総裁選を無投票で乗り越えたい算段だ。岸田内閣の支持率は一部の調査では10%台に落ち込んでいる。
「月に3ポイントずつくらい回復していけば、通常国会が閉じられる6月ごろには40%程度で推移しているという希望的観測ですが、“現時点でそれは難しいんじゃないか”といった声が圧倒的で、まともに取り合っている人はほぼいなかったですね」(同)
振り返ってみると、2023年6月にも解散説が出て、それなりに現実味を帯びていたが、岸田首相は決断しなかった。あるいはできなかったのかもしれないが。
「ウクライナ電撃訪問や日韓首脳会談、G7広島サミットを議長国として取り仕切るといった外交面でポイントを重ねていましたね。岸田首相がそれらを成果として世間に信を問うことを検討していたのは事実のようですが、仮にそれに勝利して政権運営を継続していたとしても、今回の検察の捜査がなかったかというと、そういうことでもないでしょう」(同)
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