時代劇俳優としての中村メイコ 「私は自分ほど役者根性のない女優はいないと思っています」と語った真意は

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 ペリー荻野が出会った時代劇の100人。第24回は昨年の大晦日に89歳で亡くなった中村メイコ(1934~2023)だ。

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 令和5(2023)年の末に亡くなった中村メイコさんは、昭和9(1934)年、作家・中村正常(1901~1981)の長女として東京に生まれ、2歳8カ月で映画「江戸ッ子健ちゃん」のフクちゃん役でデビュー。以来、映画やドラマ、バラエティと、さまざまな現場で活躍した。

 天才子役として鳴らしたこども時代は、広々としたオープンセットや撮影所が遊び場、スタッフが遊び友だちだった。

「私は山本嘉次郎監督(1902~1974)の作品が多かったんですが、そのころはファースト助監督が黒澤明さん(1910~1998)、セカンドが谷口千吉さん(1912~2007)、サードが市川崑さん(1915~2008)という素晴らしい時代でした。東宝の撮影所は青々とした芝生と白い柵があって、とってもモダンなの。そこで私は『黒澤のお兄ちゃまが一番好き。だって背が高いから、おんぶしてもらうと一番景色がいい』なんて言ってる子だったんです」

 時代劇では昭和15(1940)年、ミュージカル仕立ての「エノケンの孫悟空」に出演。その同じ年、NHKのテレビの「実験放送」にも出演している。昭和28(1953)年、テレビの本放送が始まると、メイコには出演オファーが殺到する。カメラが足りず、ドラマの生放送の最中、カメラが1台そっとスタジオを移動してニュースを映すという状態で、ハプニングは日常茶飯事だった。

「三匹の侍」に鍛えられた

「時代劇なのにTシャツの人がカメラの前を横切ったり、放送中に出前の人が入ってきちゃって『〇〇軒でーす』なんて声がそのまま出ちゃうこともありました」

「七色の声」と称賛された声優としての仕事や「紅白歌合戦」の司会、「連想ゲーム」の紅組キャプテンなどで人気を博したが、時代劇でも活躍している。

 印象に残っているのが、フジテレビ「三匹の侍」(1963~1969年)だという。丹波哲郎(1922~2006)、平幹二朗(1933~2016)、長門勇(1932~2013)の三匹の素浪人が、旅をしながら悪人を斬る。のちに丹波が降板し、加藤剛(1938~2018)に交代。アウトロー時代劇の傑作である。メイコは第4シリーズの「おんな三題 板橋の宿」にゲスト出演。シリアスなストーリーが多いシリーズの中で、女たちが三匹を翻弄するユニークな内容だった。

「フジテレビは後発の局でもあり、若々しくて、いい意味で乱暴でした。五社英雄さん(1912~2007)が始めた『三匹』は、とにかく徹夜が多い。スタジオの廊下にスタッフがマグロのように寝てましたからね。こっちも早く飲みたいのに、だいたい朝までかかるから朝酒になっちゃう(笑)。でも、役者の腕は育ったと思います。狭いスタジオでどうチャンバラやるか。それだけでも役者の腕です。睡眠不足で二日酔いで、それでもみんないい仕事をした。あのころのフジテレビは無我夢中で素敵でした」

「三匹」の現場の激しさは語り草だ。それを楽しんでいたのだ。

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