“別班”以外にも自衛隊に「秘密部隊」があった! 衝撃レポ…「妻帯者、家族持ちはゼロ」「ロシアの無線を傍受する“謎の部隊”が」

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本当に実在したのか……

 だが取材はここまでだった。彼女とは何度か会って話を聞いたし、電話でもやりとりを重ねたが、彼女としては、自衛隊に居場所を見いだしている彼に、迷惑はかけたくない、だからそっと見守っていたいというのである。私に連絡してきたのも、「秘密部隊」について明らかにしたいとか、調べてほしいというわけではなく、ただ、自分ひとりでは抱えきれないような話を誰かに聞いてもらいたかっただけのようなのだ。

 その後、この秘密部隊をめぐる話は誰の口からも聞かれることはなかった。今となっては本当に実在したのかどうかさえ、わからない。唯一確かなのはあれから20年の歳月が流れたということだ。彼女の交際相手だった彼がそのまま自衛隊に勤め続けていたとしても、いよいよ制服を脱いで、人生をリスタートさせる時期である。民間に比べて、定年の早い自衛隊の、時間の進み方は速い。

老人を救出した英雄

 秘密があちこちに潜んでいる自衛隊では、「秘密」はこちらが必死になって嗅ぎ回っている時ではなく、むしろ予期せぬ時に、不意打ちのようにして向こうから姿を現すことがある。もちろん、ごくごくまれな偶然だが、私もその偶然に遭遇したことがあった。

 1993年夏、「兵士に聞け」の取材を始めて半年ほどが過ぎた頃、私は空自レーダーサイトがある北海道奥尻島にいた。渡島(おしま)半島の西側、日本海上に浮かぶ奥尻島は、北方領土を勘定に入れなければ利尻島に次いで北海道で2番目に大きな島である。私が初めてここを訪れたのは前年の12月。そこで昼夜を分かたずレーダーによる国籍不明機の監視を続ける隊員たちを取材したが、夏が巡ってきて再訪したのはこの島を地震と津波が襲ったからだった。住民や観光客に200人以上の犠牲者が出るなど、漁業と観光が「売り」の島が甚大な被害を被る中、島に暮らす自衛隊員は地震発生直後から派遣命令を待たず自発的に救助活動に乗り出していた。

 当時の状況について隊員へのインタビューを重ねるうちに、がれきのずっと奥にまで潜りこんで老人を救出した防大出の3佐がいたことを私は聞き出した。現場では不気味な余震が続いていて、さらなる倒壊が起きていた。捜索に当たる隊員たちは、3佐がなおもがれきをかき分けながら内部へと入っていくのを、生き埋めになるからと引き留めにかかった。だが、3佐は自らの危険を顧みることなくほふく前進のようにしてがれきの中を這って進み、老人を発見した。足裏でくぎを踏み抜いていたことに気付いたのは老人の体をがれきから引き出した後だったという。

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