王貞治を絶対打ち取りたい…伝説の秘技“背面投げ”で挑んだ中日エースの意地

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「王が打席に入ったらやるぞ」

『もうひとつのフィールド・オブ・ドリームス――伝説のエース小川健太郎物語』(中村素至著 新風舎)によれば、この日の試合前、小川は背面投げの練習相手を務めた内野手の日野茂に「8時2分を過ぎたあたり、王が打席に入ったらやるぞ」と予告していた。

 当時のプロ野球のナイターは、午後7時開始で、テレビ中継は7時半から。野球ファンの多くがテレビの前に釘付けになる時間帯を選んで、とっておきの秘技を初披露したことになる。

 それでは、この背面投げはいつ、どのようにして生まれたのか?

 前年、王に17打数10安打3本塁打と打たれまくった小川が、1969年の春季キャンプ中、「何とかしてタイミングを外そう」と捕手の木俣達彦と対策を練ったことがきっかけだった。「上から投げよう」と提案する木俣に、小川は「上からじゃ面白くないんで、背中越しに投げよう」と答えた。

 小川は入浴中でも水中で手首を鍛え、カーブが思うように曲がらなくなると、パチンコ店に行って、当時の指で弾くスタイルのパチンコ台で捻る練習をするなど、なかなかのアイデアマンでもあった。そして、約5ヵ月の特訓の末、3球に1球はストライクが取れるまでになった。

 だが、この背面投げが、ルール上認められるかどうか懸念があったのも事実だった。

王貞治との再会

 実は、1955年11月10日の日米野球第13戦で、ヤンキースの左腕、トミー・バーンが佐藤孝夫(国鉄)の打席で同様の背面投げを行っており、このときは問題にならなかった(翌56年3月の大リーグ開幕前のオープン戦で、バーンが再び背面投げをすると、今度は不正投球とされた)。

 この前例を知っていた小川は、松橋慶季審判にも不正投球にあたるかどうか確認し、「まあ、いいんじゃないか」の言質を得た。さらに前出の69年6月15日の試合前にも、富沢球審に不正投球ではないことを確認したといわれる。このように初披露までにルール上の問題も含めて周到な準備がなされていた。

 その後、小川は同年8月31日と10月19日の巨人戦でも、王に対し、1球ずつ背面投げを行っている。2球ともボールになり、打席での結果は本塁打と三振だった。

 しかし、翌70年5月、小川はオートレースの八百長に関与した容疑で永久追放処分になり、自らの野球人生に終止符を打った。

 大打者の王に背面投げを行ったのは、礼を欠いていたのではないかと悔やんでいた小川は、1977年8月末、本塁打の世界記録を前に足踏みしていた王と再会すると、「あのときはすまなかった」と詫びた。だが、王は気にすることなく、「今日の(ヤクルト戦の)フォームはどう思いましたか?」と助言を求め、別れ際にバットをプレゼントしてくれた。小川は改めて王の研究熱心さと懐の深さに感じ入ったという。

 ちなみに、現行のルールでは、背面投げは「投球に関連する不自然な動作」と見なされ、不正投球になる可能性が強い。だが、かつて全盛期の王に背面投げで挑んだ痛快な男がいたことは、今も不滅の伝説として語り継がれている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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