王貞治を絶対打ち取りたい…伝説の秘技“背面投げ”で挑んだ中日エースの意地

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9年ぶりのプロ復帰

 背面投げというと、かつての野茂英雄のように、体を捻りながら打者に背中を見せる「トルネード投法」を連想するファンも多いかもしれないが、さにあらず。今回紹介する背面投げは、野茂がプロデビューする20年以上も前に、当時の中日のエース・小川健太郎が、強打者・王貞治(巨人)を封じるために用いた“伝説の秘技”である。【久保田龍雄/ライター】

 福岡・明善高卒業後、1954年に東映にテスト入団した小川は、肩を痛め、1軍登板のないまま、わずか2年で自由契約になる。その後、照国海運(軟式)、リッカー、学研(一般社員)、電気化学、立正佼成会(準硬式→硬式)という紆余曲折の野球人生を経て、1964年に29歳で中日入団。前年巨人に2.5ゲーム差の2位で優勝を逃した中日は、3イニングを抑えられる中継ぎ投手を必要としており、都市対抗などで活躍していた右下手投げの小川に目をつけたのだ。

 9年ぶりにプロ復帰をはたした小川は、2年目以降、先発として頭角を現し、65、66年と2年連続17勝。67年には29勝12敗、防御率2.51で最多勝、沢村賞に輝き、球界を代表するエースにのし上がった。

 そんな小川が、誰もがあっと驚く大胆不敵な珍投法を披露したのは、1969年6月15日、後楽園球場での巨人戦だった。

「不正投球だ」

 0対1の3回2死無走者で3番・王を迎えた小川は、2ストライクと追い込んだあと、3球目を投げるために右腕をテークバックした。ここまでは、何の問題もなかった。

 ところが、直後、小川は右腕を背中に突きつけたまま、体の左裏側からヒョイとボールを投げるではないか。

 外角に外れてボールになったが、王は意表をつかれ、呆然と見送った。王の打撃の師でもある荒川博三塁コーチが血相を変えて「不正投球だ」と詰め寄ったが、富沢宏哉球審は「不正投球ではない」と答えた(その後、7月20日の記録審判委員会でも「不正投球には当たらない」の見解が出された)。そして、王はカウント1-2から右飛に倒れた。

 さらに中日が2対1と逆転した直後の6回1死無走者で王が打席に立つと、小川はカウント1-2から再び背面投げを披露する。今度はワンバウンドになったが、王は次の内角直球を見逃し、三振に倒れた。

「初めはビックリした。でも、超スローボールを投げられるのと、たいして変わらない。効果があるとは思えない」と評した王だが、背面投げそのものに効果はなくても、直後の打撃に影響を及ぼしたのは明らかだった。

 一方、2打席とも「王を打ち取る」という目的を達成した小川は「前からちょくちょく練習していた。これからも左バッター用に使うつもりだ。面白いアイデアでしょ」と、してやったりの表情だった。

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